人間関係は、まず自分を明確にしたところから始まる
1998年夏から「武禅一の行」は始まった。
以前も書いたが、当初は企業からの受講者が多かったのもあり、もう少し講座も多かった。
それはまた、私自身が「何を」に対して明確に絞り込めていなかった中での、見切り発車的なスタートだったからでもある。
だから、毎回が実験だった。
もちろん、今でも実験の要素は残っている。
それは、受講される方、それぞれに毎回毎回色々と異なる。
だから、その都度何かしらのやり方を変える為だ。
「武禅一の行」は、武道の極意そのもの、昔日の武道の達人の境地、「人間関係」の極意を習得するのが目的だ。
ワークショップや武道教室とは違って、より濃密でありながら武道に興味の無い人でも、取り組めるようにしたものだ。
「人間関係」や「人の心理」といえば、西洋の心理学系の分析や考え方が主流になってしまっているのだが、常々それはおかしいと思っている。
どちらかが「良い悪い」ではなく、日本と他の国では文化が違うから、育ち方も感性も何もかもが違うという理由だ。
日本人同士でも、例えば鹿児島に生まれ育った人と、青森県で生まれ育った人は、何もかもが違う。
その「違う」という中で「心理」だけは共通する、というのはおかしいだろう。
逆に「心理こそは、全く違う」なのだ。
「感性が違う」は、味覚を考えれば良く分かる。
どんな食事を美味しいと思うか?で想像すれば良い。
先程の鹿児島生まれで、ご両親というか鹿児島生まれのお母さんから生まれ、鹿児島で育った人、青森県で青森生まれのお母さんから生まれ青森で育った人は、間違いなく味覚が違う。
違って当たり前なのだ。
その違った二人が結婚したとしたら、相互に理解しあわなければきっと喧嘩は絶えない筈だ。
にも拘らず、どちらかの考え方を「正しい」として、二人の間に持ち込めば当然亀裂は入るのだ。
武道の達人と呼ばれた数少ない人達は、そう言った事も考慮し、様々な「技」を編み出した。
その「技」こそ「関係」という事の具現化である。
そしてそこを2泊3日で修行をするのが「武禅一の行」だ。
お互いに向かい合おう、それは眺める事ではない。関わり合う事だ。