初めて受講しても一発で出来る人がいる、その反面数年たっても出来ない人がいる。何でや?
昨日の稽古に10年くらい前まで受講していたダンサーが、久しぶりに顔を見せてくれた。 「身体塾」では、さほど目立たなかったのだが、「武道基礎塾」まで受講していて、そこで初めてする片手片手持ちや胸掴みという、体重移動の基礎練 […]
意味不明の余裕が様々な言葉に振り回される
「承認欲求」何度か見た単語だ。調べて見ると『「他者から認められたい」「自分を価値ある存在として認めたい」という欲求のことをいいます。』ということらしい。 私の子供の頃や10代20代ではなかった言葉だ。心情的に持っていた人 […]
まずは身体を作り直す、そして動くシステムを体現化する
代替稽古日もやっぱり少ない。となると、みっちりと細かい稽古しかない。 先日発見した体重移動のより繊細な身体操作も試してみた。何をやっているのか、もはや意味不明だ。多分、この稽古が究極だろう。 もちろん、「これ」を練習して […]
道場建設はここから始まった、実は私が一人で稽古をしたいから建てようと思ったからだ2
私一人で稽古をする小屋のつもりが、弟子たちが付いてくるというので、大きな建物が必要になった。そこで考え出したのが。
道場建設はここから始まった、実は私が一人で稽古をしたいから建てようと思ったからだ
1984年1月、私は36歳だった。武道を一人で稽古する為に道場を建てようと思った。小さな小屋を建てようと思った。小さな小屋なら誰でも建てられるだろうと思ったからだ。
本気?誰でもどこでも本気だろう?そうとは知らないのは自分だけだ
私達は、その生物としての生と死を無視し、様々な価値観や頭の中にある言葉を全うする事を人生と呼んでいるので、話がややこしくなるし生物としても弱いのだ。もちろん、生物としての生と死は、人生と密接に繋がっている。交通事故に合い生死の境をさまよったとしたら、「ちゃんと生きよう」あるいは「生きていて良かった」と思う人が大半だろう。それは生物としての生死を自覚したからだ。
5mのパイプは重たい、持ち方を間違えると振り回される
屋根修理をするのに、パイプで足場を組む。組む時は倒れないようにと念を押して組み上げる。解体は倒れないように外していかなければいけない。
何を感じているのか?を教えるのは難しい。それぞれの感性を大事にしたいから
昨日は「大阪・明鏡塾」だった。 「触れる」相手に触れている時、私が何をしているのかを教える事は出来ない。意識的に、あるいは意図的には、何もしていないからだ。 ただ入って来る情報を捕まえている、ただそれだけだからだ。 教え […]
自分は一体何をしているのだろう?それは頭に隙がある事だが
ほんとに一瞬「自分は何をしているのだろう」と頭をかすめる時がある。そんな時、2通りの言葉が頭をよぎる。
一つは「しやないなぁ」一つは「これやってるで」だ。どちらにしても、深い意味はない。頭に隙間があった、それだけだ。









