105回武禅一の行は終わった。
秋の「武禅一の行」は終わった。100回目の「武禅」も5年前の丁度この日だった。今回沖縄から受講してくれたN君が教えてくれた。 「100回目はピーンと張り詰めた空気が最初から最後まであったけど、今回は何か緩いですね」と休憩 […]
子供は親に対して真剣だが、親は?
いよいよ明日から「武禅一の行」だ。 道場を掃除し雑巾で拭き上げ、部屋割りをし明日に備える。 「武禅」は1998年の夏に、見切り発車をした。そこから7年後の2005年、「武禅」の感想文が出て来た。 「家でこの間『武禅』でや […]
伝統武道を考え直す。日本書紀や古事記からになってしまった。
日本の伝統武道の達人を探求する、として伊藤一刀斎や柳生石舟斎他を分析し仮説を立てて来たが、腑に落ちない事が残っていた。 それは、現代の達人と呼ばれた故養神館合気道宗家塩田剛三師が残した、「向かってくる敵と友達になる」とい […]
「私らしく」それこそが「私らしい」のだ。
人はそれぞれに違う。言葉は合うが話は合わない。それが普通だ。それで良いのだ。それぞれに違うからだ。理解しあえなくても付き合えるし、仕事も出来る。「私らしく」それこそが「私らしい」のだ。
身体操作は難しい、それは要素が余りにも多いからだ
「胸骨操作」は胸骨の一点から肩口にかけてのストレッチされる感覚が大事だ。ここを経過すると腕は自動的に動く。そして肘へと繋ぎ手先へと流れるのだ。
「その人」と向かい合えていないよ、ただ眺めているだけや。
「全員と向い合いを行い、人それぞれの感じ方を聞いて、自分がちゃんと相手(その人と)と向き合えていないと感じました。
この状態では、仕事でも部下や後輩に、その瞬間に向き合えてないんだろうなと思った。」自分を知るとはこういう事だ。
直球を相手に投げられるかな?直球を受け止められるかな?
「武禅」は、自分を知る為の講座である。特に、対人関係での「関係」に的を絞ったものだ。相手に届けるには本気でないと伝わらない。その本気は「感情」が底にある。2泊3日間、他人と正面から向き合い自分自身を鍛えて行くものだ。
明鏡塾新規講座が始まった
9月は東京・大阪明鏡塾の新規開講だ。まる1日「関係」を稽古する。稽古と言っても、そこには「触れる」や「気持ちを届ける・聴き取る」という難関があり、それに挑戦していくのだ。









