好き・嫌いという感性は、磨かなければ幼いままだ
無意識的に「好き・嫌い」を価値観を決める定規にしていたのに気付いたのは1968年20歳の時だ。
「好き・嫌い」は、多分誰にでもある感性的反応だ。
それを磨かなければ、低次の感性的反応しか起こらない。
その事に気付いたのは、それから20年後くらいだ。
気持ちが手段を下支えするが、根本的には「気持ち=私」だと考える方が面倒ではない
よくよく考えると「気持ち」と私を切り離す事は出来ないのだから、「気持ち=私」でもあるという事だ。
神田道場に、ここ数回オランダからアーチストが来ている。 前回は、少し体重移動の基礎の片手両手持ちを教えた。昨日は三角形という考え方を伝えた。で面倒なので、「相手の目をしっかり見て、その方向に動いてみよう」というと、多少は手こずったが出来た。要領を見つけると何度か自力で成功させた。
身体は繋がっているのだが、実際の動きでは気持ちや思いがそれをバラバラにする
身体を動かしているのは間違いなく頭であり、気持ちや欲求だから、もしかしたらそこにも原因があるのではないか?
と自分自身を探求して欲しいのだ。
自分が自分の身体で何をどうしているのかを知っているのかどうか、それを知らなければ砂上の楼閣だ
武道や武術をやっていて、身体に対して客観的視点を持っていない、というのには驚く他は無い。それを持っていなければ、どうやって上達していくのか教えて欲しい。
「セリ鍋」は無茶苦茶美味しかった、その後の雑炊も胃袋が満たされていなければいくらでも入った!
「セリ鍋」これが絶品。
後のおじやが、これまた美味しい。毎年の仙台でのコミュケーションセミナーを終え懇親会での話だ。
日本人はどれだけ歪やねん、ほんま坂道を転がり落ちるように壊れていってるわ。
「ええ~!うそ~!」思わず目を疑いつつ唸った。 昨夜、大阪の稽古を終えホテルに帰った。ホテルの隣にコンビニがあったので、水でも買おうと思った。 何か違和感を感じて2人連れの女の子を見た。よく見るとパジャマ姿だ。外国の人か […]
初めて受講しても一発で出来る人がいる、その反面数年たっても出来ない人がいる。何でや?
昨日の稽古に10年くらい前まで受講していたダンサーが、久しぶりに顔を見せてくれた。 「身体塾」では、さほど目立たなかったのだが、「武道基礎塾」まで受講していて、そこで初めてする片手片手持ちや胸掴みという、体重移動の基礎練 […]
意味不明の余裕が様々な言葉に振り回される
「承認欲求」何度か見た単語だ。調べて見ると『「他者から認められたい」「自分を価値ある存在として認めたい」という欲求のことをいいます。』ということらしい。 私の子供の頃や10代20代ではなかった言葉だ。心情的に持っていた人 […]
まずは身体を作り直す、そして動くシステムを体現化する
代替稽古日もやっぱり少ない。となると、みっちりと細かい稽古しかない。 先日発見した体重移動のより繊細な身体操作も試してみた。何をやっているのか、もはや意味不明だ。多分、この稽古が究極だろう。 もちろん、「これ」を練習して […]










