言葉が場を和ませる、大阪下町の本音合戦
大阪の稽古では、私と最年長のおばあさんとのやり取りが、そのまま「場」を作り出す。
その事で周りに笑いの渦が起こる。
それが大阪独特のサービス精神だ。
そこを取り出し「人生はサービス業」だと以前は話していたこともある。
同じ大阪でも下町を知らない人は、このやり取りに目を丸くする。
それこそ「ハラスメント用語」だけで会話をしている様なものだからだ。
ハラスメントか何か知らないが、その言葉は単に「汚い言葉」であり、相手に「直球で届ける為」の言葉だ。
それはその「関係性」だからお互いに共有しあえるのだ。
言葉とはそういうものだ。
つまり、「関係」そのものが用いる言葉を選んでいるのであって、共有できる言葉があるのではない。
腹を割れない人には、このおばあさんとの間で使う言葉は使わないし私の中からは出て来ない。
頭を使って言葉を発しているのだ。
ずっと「よそいきの言葉」→「血の通っていない言葉」ですます。
「おばはんが死んだら、もうこのやりとりは大阪から無くなるなぁ」
そんなしんみりした話になった。
文化が一つ消える。
そんなたいそうなものではないやろ、とは思うが、たいそうな事なのだ。