対立しない、は、対立出来ないということではない

「相手と対立しない」というのは、武道の真髄でもある。

しかし、「対立出来ない人」になるのではない。
対立しないというのは、逆にとことん対立出来るという事でもある。

また「腕力がある必要はない」とはいうが、それは腕力が無くても良い、という事ではない。
必要最小限度があり、それをどう使うかだ。

「対立」する力の無い人が「人とは対立しない」と言うのは、他人の意見を無条件に従うという事だが、大方の人はそうは捉えていないのだろう。
うやむやにしておく、くらいの事では無いだろうか。
あるいは完全な忖度だけの世界に身を置くという事だ。

それは、自分の意見を持たずに一生を過ごすということだが、もちろん、生き方としてそれが良いも悪いも無い。
当人がよければそれで良いのだ。
老婆心でいうならば、折角生まれて来ているのに、それではその生命が勿体ないのではないか、と思う。

しかし、この「相手と対立しない」のは難しい。
そもそもは、私の場合、この発想は「柔よく剛を制す」から考え続けて来た方向だ。

どうして「柔よく剛を制す」なのかというと、小柄な体格で、大柄な体格の人と対した時に「負けない」というのは有るのか?から出たものだ。
そこを突き詰めて行った時に、様々な壁が現れ、それをクリアしていく毎に何かしらを掴んで来たのだ。

いわば、こういった探求も、現れた問題と「正面から対立する」から、何かを見い出せたのだ。

その成果は、私の現場対応能力だろうと思う。
つまり、即興性が人より優れているという事で、それがワークショップや道場で発揮されているのだと思う。
例えば「これが出来ない」人がいた時、その人に適した方法やアドバイスを提供できているという事だ。
一般論的正論を話すのではなく、その場に、その人にを即興的に組み上げられるのだ。

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