当たり前の事だが、限界は常に自分が決めている
「身体の可能性?」と言えば「無い」、身体の「可能性を引き出すのは自分自身」だからだ。
決して身体メソッドでもなければ何かしらの身体理論でもない。
自分自身の目的や目標、あるいは、「こうしてやろう」という何かに対する意欲のようなものを持っているのかいないのかだ。
これを「やれば可能性が生まれる」ではない。
その意味で限界を決めるのは「自分自身」だと言えるのだ。
「自分がこれで良い」と思えばそれ以上にはならないし、「これは無理」と思えば無理になる。
つまり、自分の思った通りにしかならないのだ。
そこから言えば、人は常に自己実現している、という事だ。
例えば、一つの型を稽古する。
といっても、ある人は型の順番を知る事を稽古だと思っているし、ある人はその型から威力を出せるようになるのを稽古だと思っている。
つまり、人様々なのだ。
それに応じて「身体の可能性は限界を持つ」のだ。
私も型を稽古する。
それは体重移動が円滑に行っているのか、全体の連動が途切れていないか、蹴っていないか他、色々な要素を検証し創り上げる為にやっている。
だから、私にとっての身体は、無限の可能性を持っているのだ。
終点が見当たらないのだ。
だから稽古は楽しいし、続ければ続けるだけ楽しくもなるのだ。
もちろん、世間でいう「楽しい」ではない。
暗黒の闇に向かって歩いている事自体が楽しいのだ。
どこにも道路標識がなく、完全な手探り状態だから楽しいのだ。
そこに私は生きているを見出せるからだ。
そんな話も一杯あるのがワークショップだ。
その意味では、色々な話を聴きに来る、という目的のワークショップ参加でも大丈夫だ。
東京ワークショップは6月2,3,4日です。
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