もう5月、そして「武禅一の行」
5月1日、もう丸4ヶ月も2025年は過ぎてしまった。
ほんと何もかもが早い。
110回「武禅一の行」は5月3日スタートだ。
結局、今回は18名で大きな渦を作り、その渦に揉まれる。
人と人が向かい合う、別段日常でも普通にある光景だ。
しかし、「向かい合う」という事を意識して、他人と向き合う経験はきっとないだろうと思う。
やんちゃをしていた人なら、「何、メンチきっとんねん」と粋がって向かい合った事がある筈だ。
しかし、大方の人はこういった経験はない。
親なら子供と向き合った事があるかもしれないが、それもきっと僅かだろう。
と日常を振り返ると、意外と「向き合う」という状態を体験していないことを知る。
もちろん、小さな子供の時にはやっているかもしれない。
子供の頃は本気で泣いたり笑ったり叩き合ったりしたものだ。
それが人生で「自分以外」そして「自分が通らない」を初めて知る時だ。
つまり、向かい合うという事の初体験だ。
ここが無ければ、この後に体験するのは相当難しい。
それは知識も持ち、「理由」ということ「意味」という事を知り、それで良いとなるからだ。
それで良い、というのは、理由や意味を知っているだけで、という意味だ。
むろん、それで良いわけはない。
しかし、世間はそこを子供の頃の様には突っ込まない。
突っ込むという行為はリスクを背負うからだ。
大人になると、人はリスクを背負わなくなる。
逃げてしまうのだ。
その理由や意味を語るのは恐ろしく長けている。
それが大人だ。
その意味で、子供の頃の様に「向かい合う」のは難しいのだ。
そこに挑戦し、自分自身に人間性を取り戻す3日間が始まるのだ。
毎年の今頃は草刈り機を引っ張り出す。
11月から5ヶ月間納屋に寝かしておいたのだ。
油を入れてチョークを引っ張る。
頃合いを見てチョークを戻す。
小気味よいエンジン音が山に響く。
今から6ヶ月間はお世話になる。
とりあえず、「武禅」に自動車で来る人がいるから、その駐車スペースの草を刈った。
今日の夕方から本格的に雨が降るという。
確かに雲行きも怪しい。
和室に雨漏りの跡があったので、そこだけでもカバーしようと屋根に上がって作業を開始。
雲行きとの勝負だが、カバーをしてからどれくらい雨迄の時間があるか分からない。
仕方が無いので止むまで待つことにしよう。
全く話は変わるが、先日初めて「脳ドッグ」に入った。
時々めまいがしていたのと、認知症やアルツハイマーの切っ掛けがあるのかを知りたかったからだ。
ゴトゴトうるさいマシンの中で一眠りすると終わっていた。
結果に驚いた。
医師の一言目が「日野さんは煙草を吸うのですよね」だった。
「はい、真面目に吸っているので60数年にはなりますよ」
「それがそう見えなくて脳が若いのですよ、血管も」「ほんまですか」だった。
いずれにしても何よりだ。
