私を決めている
一寸聞いてもいいですか?とある飲み会での事だ。
「先生は、他人から先生とか達人とか言われますよね、その事で自分の中で驕りの気持ちとか、傲慢な気持ち、あるいは気持ち良くなるとかありませんか?」と質問された。
中々良い質問だ。
「先生」や「達人」と呼んでいるのは、私ではなく他人だ。
つまり、他人の言葉だし、ある意味で他人の評価だから全く自分とは関係が無い。
その事を120%理解しているから、驕りの気持ちや傲慢とは一切関係がないと答えた。
また、私は子供の頃から先生や教師が嫌いだったから、呼ばれるのにも抵抗がある。
その意味で、呼ばれるのは嫌いだ。
でも他人は呼ぶ。
そういった、自分の事を一々説明するのは面倒なので、社会的な愛称だと自分で決めているのだ。
それは海外でも言われる。
「日野は先生らしくない」と。
私は「ただのおっさんやで」と爆笑を誘う。
名称やある種の社会的価値など、「わたし」そのものとは一切関係が無い。
どこまで行っても、私はわたしであって、他の何かではないのだ。