褒められても
ドラムを始めて6ヵ月くらい経った時、当時、フルバンドでは関西を代表するアルトサックスの伊藤さんに「アキラ君のドラムは良く歌うなぁ」と言われた。
褒めてくれているのだが、「歌う」という事がサッパリ分からないので「ほんまですか、ありがとうございます」と礼をいったくらいだ。
「ドラミングが歌う?」今なら「それってどういう事ですか?」と大方の人は質問するだろう。
つまり、「分かりやすい説明があるもの」という風潮があるので、その質問すること自体に何の抵抗も無いのだろうと思う。
もちろん、分かっている、知っている事に越した事はない、と考えるのがその風潮だ。
しかし、私はそうは考えない。
例えば、ここで「それってどういう事ですか?」と質問する事で伊藤さんのいう「歌う」を知る事が出来る。
但し「言葉で」であって、音楽の実際ではない。
つまり、音楽の実際というところでは、私自身の知識量や演奏量が余りにも足りない。
だから、その時点では伊藤さんの「歌う」を想像する事も出来ない。
ただ「言葉として知った」に過ぎない。
私は、この言葉として知る事を嫌う。
それは、私の実力や方向がしっかりしていないのに、私の先にある「歌う」を、その言葉が誘導してしまうからだ。
私は私の演奏から、その事を体感するまではその「歌う」は、私のものではないし知識としても必要ではないと考えるのだ。
だから、「ありがとうございます」とは言ったが、直ぐに忘れて今私自身が取り組んでいる事に集中するし、その時もそうだった。
つまり、私自身の演奏で何かしらの変化が会った時、「アキラ君それは違うで」ときっと信号を出してくれる筈だからだ。
そこではじめて、「差異」を体感出来る事になり、極めて明確に「歌う」を私の言葉で知る事になる筈だからだ。
伊藤さんは事ある毎に私をコンサートやライブで使ってくれた。
その度に、色々と演奏として試したものだ。