2017年9月8日
「受け入れる」という言葉が嫌いだ。 なぜかというと、その事は実体として、あるいは、こころの働きとして既に起こっていることだからだ。 つまり、その言葉を持たなければ、「受け入れる」状態にならないのであれば、絶対にこころの働 […]
2017年9月7日
昨日の「まっすぐな心」というのは何だ?と疑問を持つのは、まっすぐな心ではないのか?と、重ねて疑問を持つ。 ここが言葉の繋がりのややこしいところだ。 まっすぐだから「何これ?」となるのだ。 では、まっすぐではなかったら、と […]
2017年9月6日
「話を聴く」というワークがある。 聴くとは何だ?どういうことだろう?そんな問題提議を兼ねているワークだ。 その問題提議を持てなければ、もちろん、解決しないし、それを実現できるようにはならない。 入口は只の聞くだが、実は奥 […]
2017年9月5日
お子様とお子様ではない、の区分けはどこか。話している人と、その人の言葉の背景や世界観を想像できること。多分、この一語だろう。 言葉を理解する、という言葉が有るならば、ここを含んだこと。あるいは、ここを重要視することだろう […]
2017年9月3日
先日からネットで少し話題になっている、トランペッターの日野皓正さんの中学生往復ビンタ事件。事件か?と私は思う。事件にしたのはメディアであり、野次馬だろうということだ。 15年以上前、大阪の教室に30代の女性が見学に来た。 […]
2017年9月2日
先程、たまたまTVを付けると、従業員の70%が知的障害の人達という会社の紹介があった。日本シェア1位を誇るチョークの会社日本理化学工業株式会社だ。製造工程の殆どが、障害を持つ人が責任を持って作業をしている。もちろん正社員 […]
2017年9月2日
講演を依頼され、その会場に行く。 主催されている会やグループにより、集まっている方達の色がある。 当たり前の事だが何かしらのカラーがある。 だから、各講演会場で出会う事が楽しみの一つでもある。 先日の、ホロトロピックさん […]
2017年9月1日
人は言葉を知るほどに混乱していく場合がある。特に日本語ではなく翻訳された言葉が問題だ。それは単に翻訳されているだけであって、日本語のニュアンスを持っていない。しかし、それを読む私たちは、「日本人」つまり、良し悪しは別にし […]