稽古
10年経てば差が埋まら無い
何が蓄積されたか、という事から、例えば10年間1回も欠かさず稽古に来るとする。同じように道場で稽古をする。スタートでは、殆ど同じだ。いくら他の武道のキャリアがあっても、本質的な稽古はしていないから、難しいからだ。 で、1 […]
流れに乗る→中に入る
「流れに乗る」ここ10年は、やたらとこの言葉を使っている。しかし、面白いことに、その中身がどんどん変化していることだ。 最初は、単純に例えば、川の流れに乗る、波に乗る。そんなモデルだった。しかし、それがもっと見えないもの […]
自分なりで良いのだが
先日の大阪での特別稽古もそうだが、「何を手本として」というところが見えて来ない。「自分なりに」やるばかりだ。もちろん、常に「やるのは自分」であって、他の誰でもない。しかし、「自分なり」は「手本を」だ。それが明確ではない場 […]
100万回やれば見えて来る
「秘伝・奥義」というような、もしかしたら近道があるかもしれない、と匂わせる言葉がある。 ネット上でも、様々なジャンルで使われている。 「秘密の」を連想させるからだろうか。 私は、どちらかと言うとスーパーマン幻想と楽して、 […]
同時にあるのを知っているのかな
先日の日曜日に、前々から稽古の中に取り入れていた、「相手の力を感じ取る」を棒を使ってやって見た。もちろん、それ程簡単ではない。 「力を感じ取る」というのは、実際に相手の力の強さと5分5分の力を相手に提供する事も入っている […]
かっこよく見栄をはれ
熊野も猛暑。この暑さは、通年だとお盆の頃の暑さだ。汗をダラダラかきながらの合宿は、丁度お盆を挟んだ日程だ。ここ数年は、合宿を止めている。屋根修理が先だからだ。 生徒たちは手伝うというが、何も知らない人に手伝ってもらうと、 […]
一つの感覚を磨くのに10年はかかっている
昨日は、スペインから神田道場に稽古にきた。その中の一人は、熊野道場へ3年ほど通っていた。だから、「腕力を使わない」ということの稽古が、私の稽古だと理解できている。 しかし、そこを身体で理解していない人には、腕力か腕力を使 […]