稽古

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形式という枠は

昼過ぎに福岡に飛ぶ。東京はかなり強い風が吹いているが飛ぶのかな? ここのところ愚息との会話が頻繁にある。音楽のこと、演奏そのもののことだ。 音楽は、一度形式を壊してしまわなければ、本当に「音楽が自分の中に有るのか無いのか […]

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共通点を探す

「どうすれば」ばかり考える。稽古然り、工事然りだ。あるいは、上達然りだ。もちろん、それらが共通しなければ、虫が治らない。 私の考えや結論はこの「共通」に集約される。だから、興味が沸くほどに、その「共通」は深くなる。という […]

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隙間に作業が一番

ザーザー降る雨の隙間に少し晴れる。その機会を逃さずに作業。こういった隙間の時は、思いの外仕事が捗ることがある。 というよりも、それが私にとって一番良い時間の過ごし方かもしれない。隙間に稽古、隙間に練習、隙間に閃く。人それ […]

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生身のわたしを

しかし、大声を出す稽古をしても、その時に大声は出ない。それは「咄嗟」ではないからだ。稽古では、感情から湧き上がる「声」ではなく、稽古や訓練では「音としての声」にしかならないからだ。 そうすると「感情のような」設定をした声 […]

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咄嗟の時に出来ることなど無い

何かとんでもない事件が起きると、専門家?評論家?コメンテーターといった人達が、いわゆる結果論的に「こうすれば」という話をする。「ほんまか!?」ほんと、それこそ平和ボケの象徴だ。 人は出来ることしか出来ないのだ。予想できな […]

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飛躍は当人次第

身体のポイント、例えば何時も稽古の最初にする「肘」のポイント。どうしてそこを感覚できると、二の腕や前腕に力みが生まれないのかは分からない。間違いなく「肘」をガッチリと握られているにも関わらずだ。もちろん、私は分かろうとは […]

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大事なのは

身体を動かして何かをする。それは野球でも、スキーでも合気道でも、ダンスでも何でも良い。もちろん、いきなり出来る人は素晴らしい。しかし、出来ない人は一から積み上げる必要がある。一から丁寧に積み上げていくと、余程のことが無い […]

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突破口はある

つくづく、どんなことでも一般論は個人に当てはまらないものだと感じる。例えば、運動神経が鈍いから出来ない、という言葉があったとする。何か運動をすることが出来ない、あるいは苦手な人が口にする。 しかし、よくよく観察していると […]

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日常の自分を超えた時、

自分にとって普通のこと。つまり、日常生活のなかで無意識的に行っていることは、全て「自分にとって普通」だ。その普通の自分が、普通ではないこと、例えば、英語を話せるようになりたい、とすれば、英語の勉強をする、それは自分が日常 […]

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自己肯定感が弱いのは

気分というものを観察していると、ほんと面白い。もちろん、自分自身のものだ。一喜一憂とはいったもので、上がったり下がったり、目まぐるしく動いているのがよく分かる。そんな気分の動きは、何が原因なのかと探っていくと、自分自身の […]

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