流れに乗る→中に入る

「流れに乗る」ここ10年は、やたらとこの言葉を使っている。
しかし、面白いことに、その中身がどんどん変化していることだ。

最初は、単純に例えば、川の流れに乗る、波に乗る。
そんなモデルだった。
しかし、それがもっと見えないものへと深化している。
もちろん、単純な川の流れに乗るという例えでも、実際に相手との関係の中で、それを行うのは難しい。

「流れに乗ろう」と思うからだ。
そして「流れ」を見極めようとするからだ。
それだけで、タイミングがずれる。
何よりも、流れとは客観になる。
つまり、永久に流れそのものの次元にはならないということだ。

私自身が、一体どういう意味で、この流れに乗るに気付いたのかは分からない。
それは、やり続けるしかない。
やり続ければ、その内「こういうことだったのか」と答えが目の前に現れるのだろう。

いや、そういえば「流れに乗る」は「流れの中に入る」と言葉が変わっている。
それに応じて「意味」は深化している。
探求するとはそんなことなのだろう。

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