人生波風一杯

ワークショップ
自分が裏付けを生きていない人の言葉は気持ちが悪い

よく「最近の人は答えだけ、あるいは方法だけを知りたがる」という話を聞く。
もちろん、私も聞くし私も昔はそんなことを口にしていた。
今でも「面倒だから答えは?」という癖が残っている。
だからこそ、それでは無いという事を体感して来たともいえる。
そんな癖を持つ人、答えを直ぐに知りたい人、方法を知りたい人は、「それで何?」と自分に突っ込んで見れば分かって来る筈だ。
「自分で考える過程だけが大事な事」だと。
つまり、その言葉の裏付けが自分自身の経験として身体に残るからだ。
それが残れば、重要な事は自分の力で考えられるようになる。
よく「答えは無い」と話す。
それは、全て自分自身が出すものだからだ。

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ダンス
色褪せない本物を体感した小学中学時代

中学生の頃、初めてラジオから流れるビートルズを聴いた。この衝撃は、凄かった。 それを思い出せば、この頃、映画ウエストサイドストーリーも封切られた。私は何に魅せられたのか12,3回は観に行った。教室ではジョージ・チャキリス […]

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からだ
言葉に匹敵する「技」は、技能と捉えるから進化する

私自身が好きで探求している事、その経過の中で出来た事に興味は無い。
そこが終着駅ではないからだ。
ただ、「そうか、出来るやん」で忘れてしまう。
その意味で、武道の稽古の中で出来て行ってる事に興味はないという事だ。
つまり、達成感も喜びも、いわゆる自己評価も自己肯定感も無い。
そもそも、そんなものを持ち合わせていないからだ。
昨今の巷に溢れる「言葉」に、何の興味も持てないのだ。
それは単に何かを誰かが解釈しただけの「言葉」だからだ。

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ダンス
ありがとう!いえいえどういたしまして!これが気持ち良いのだ

私は3人掛けのボックスを占領していたので、一人掛けのカウンターに移った。
しばらくすると、アイスクリームが運ばれて来た。
「えっ、俺注文していないよ」と運んでくれた人に言うと「マスターから、席を移動してくれたお礼です」と言われた。
「ええ~ほんま、マスターにありがとうと伝えてや」。
この喫茶店のマスターは、大阪の八百屋のおっさんのように元気が良く、店に入ると「いらっしゃい!」と大きな声で迎えてくれる。
それを気に入って、神田駅の方に行く事があるとこの店に寄る。
このマスターのようなサービス精神があると、誰もが嬉しくなるのではないだろうか。
「マスター!気を遣わせて、ありがとう」「いえいえ、どういたしまして」良い気持ちで店の外に出た。
これが関係の基本だろうし、見知らぬ人と仲良くなるコツでもある。

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からだ
ブラックボックスの解明

目的の実現や実際の為に行為があるが、その「目的」を実際の行為として繋げるには、無意識的な作業があり、それが実現される。その「無意識的な個人の作業」はブラックボックスだ。 例えば、武道でいくらやっても上達しない人を見ていて […]

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ワークショップ
自分を決めていない人は迷子になるだけ

スポーツ選手で、よく子供の頃何になりたいかを作文や卒業文集で綴っている事が紹介される。最近ではメジャーリーグで大活躍する大谷選手がいる。 高校の時に考えていたというシステムが紹介され、「ええ~高校の時にこれ~」と私は驚い […]

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スポーツ
神田道場?「どうして?」

そういえば、2018年4月7日に東京の道場を神田に持った。「どうして?」 私が大阪に道場を持ったのが、40年程前だ。この道場は、私自身の武道に対する考えを実験する場だった。 やるべき事、考えなければならない事、やった中で […]

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人生波風一杯
口の中で溶けてしまう美味しさ

不思議なもので、美味しいものは残念なものでもある。
というのは、口の中で溶けてしまうような感覚だから、食べ終わってから「何を食べたのか」が口の中には残っていないからだ。
これは初めての体験だ。
日常では、余程印象的な味のものばかり食べているのだろうと思った。

これは「力の衝突」と良く似ている。
手応えがあるのと、手応えが無いのとの違いだ。

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スポーツ
言葉は自分自身の行動や行為を誘導している

例えば、俳句では「季重なり」を嫌うというルールがある。もちろん、単純に駄目だという事ではない。 俳句の事を書きたいのではなく、この「季重なり」と似ているのが、言葉と実際だという話だ。 例えば、怪我をして「痛い」と叫んだ時 […]

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からだ
言葉が身体を支配するから注意が肝心だ

「力の衝突」を避ける。
「武道」では必須だ。
それは、力負けする可能性を持っているからだ。
ではどうするか?一つに、力の方向を変える。
一つに、衝突した瞬間に「衝突した」という意識を持たない事だ。
実は、それが一番大事な事だ。
以前書いた事があるが、足を石で切った大怪我をした。
その時は「痛い」という意識が身体全体を支配している事に気付いた。
足を切ったのは事実、大怪我も事実。
だが「痛い」というのは単なる言葉だ。
それと、身体への刺激がダブっており、「痛い」に支配されてしまうのだ。

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