人生、死ぬまで過渡期だ
稽古の度という訳ではないが、新しい稽古法を発見する。
こうすれば、この技術の本質をより容易く体感出来るのではないか、という考え方からだ。
身体をかなり細分化されたと言えるだろう。
そうすると、基本稽古体系そのものが進化して行く。
もちろん、それが良いのか悪いのかは分からない。
私のこの稽古法の発見は、年中行事のようなものだ。
40年間は動き続けている。
だから、その部分しか理解していない生徒は混乱する。
私の過渡期だから仕方が無いのだが、では、一体その過渡期はいつ終わるのだろうか。
何時から安定期というか、成熟期というか、何かしらの停止が有るのだろう。
そんなことは有り得ないのでは無いだろうか。
常に考えているから、より精緻化するし、情報も受け取る。
それらが続く限り、過渡期だろう。
と考えると、人生死ぬまで過渡期だということだ。