面白過ぎるで
今日は昨夜から雨。
変な日本語になってしまった。
何も考えずにキーボードを叩くからこうなる。
だからといって、その癖を直そうとは思わない。
というよりも、小学生の頃からこのスタイルで来ており、これが「私」だからだ。
面白い話を聞いた。
先日の台風で屋外設置型の物置が転がった。
転がった先に社屋からの扉がある。
もちろん、扉が塞がったのではない。
それを見つけた会社役員が、総務の係長に
「これ元々どこにあったの」
「それは、あそこです」
「転がって来たんやな」
「そうです」
「で、どうするの?」
「元の場所に戻さなあきませんね」
「何時、戻すの」
「え~と、、、」
「今、やろ!」
漫才ではないし、小学生の話でもない。
書いたように40歳前の係長だ。
この話を聞いていて、この係長は、知っているということと、現場の状況が繋がっていないのだろうと思った。
状況というのは、刻一刻一刻と変化する。
多分、そのことも知っているだろう。
しかし、変化する、という言葉は知っていても、変化している状況に、どう対応したらよいのかを知らないということだ。
もしかしたら、対応するということも知らないのではないかとも思う。
社会では物事を知らなかっても、指示を出す人がいるから、指示を出す人の言う事を聞いていれば成り立つのだ。
こんな人、一人で生きていけるのだろうか。
組織に属しているということで、何も自分で考えなくても仕事は回るから、きっと自分では仕事がやれていると思っているのだろう。
周りの人がどれ程迷惑を被っているか。
それがある意味で、組織の欠点でもある。