自分を研ぎ澄ます実際的な学びが目的の人にこそ、「日野武道研究所」に来て欲しい。
神田道場の稽古では、年明けから「型」に重きをおいている。
黒帯がやる型を、他の黒帯が見て感じた事、あるいは間違っている事等々の意見を出し合わせる稽古だ。
この事で「何を見ているのか」が、第三者に表現される。
表現された事で「そんなことしか見ていなかったのか」とか「そこまで見ているのか」となるのだ。
それらを踏まえて再び型を見せあう。
これらのやり取りを見ていると、やはり枝葉末節への注意が多い。
そして、誰かが指摘した事が全く修正出来ていないという事も多々起こる。
それは、自分以外の「誰か」の話ではなく、自分自身がそうだと認識できるかどうかが一つの鍵だ。
ここでも「理解→出来る」という実際への認識の甘さが浮き彫りにされる。
黙々と型を繰り返したり、ただただその気になって繰り返している型にどんな意味があるというのだろう。
勿論、覚えるまではそれでも良いが、憶えてしまった後は、要素をどれだけ取り込めているかだ。
また、「理解→出来る」を現実化する為の工夫に徹底的に取り組むという事も大事だ。
そもそも現代において、武道はどんな役割を持てるのか?を考えていないから、枝葉末節にしか視点が向かないのだ。
こんなことをやっていると、つくづくお手軽武道愛好者は道場には来ないと分かる。
自分を研ぎ澄ます実際的な学びが目的の人にこそ、「日野武道研究所」に来て欲しい。