武道を身体化させるのは、現代にはほんとに難しい
先日は6月発売のDVDの撮影だった。
かなり基礎的な「胸骨操作→力」で、それらは「筋肉を延ばす(ストレッチをする)」為に必要な操作だと説明した。
また、「胸骨」という位置点は、象徴のような面と、そのポイントを一つ置いておくと身体や動きを整理しやすいから、という説明も加えた。
道場では、説明は省き気味になる。
それは、私の本を読んでいるだろうし、稽古毎や何か新しい気付きがある度に説明しているからだ。
また、私の言う「ストレッチ」は一般的な「ストレッチ」という事ではなく、「人が動く・動いている」という事は、原初的に筋肉や腱の収縮運動である、という事での「ストレッチ」だ。
無意識的な身体運動の事だ。
もちろん、動きの動機となるのは、欲求や反応・反射だ。
身体を動かす、あるいは、動くという事で重要な役目を持つ「ストレッチ」だから、様々な身体の形でストレッチを行う。
ただ、ここでの「身体を動かす」は、武道の世界として、という事だから、全ての動きは「ストレッチ」されていなければならない。
「伸びるから縮む・縮むから伸びる」
この公式を、身体の形に当てはめて動いて行くのが「武道的身体」の作り方だ。
そこから言うと、この「武道的身体」は即席では出来ない。
とにかく時間がかかる。
その意味でスポーツや格闘技には向いていない。
それが武道なのだから仕方が無い。
というのは、実際問題として「武道(武術)」そのものは、どれだけの理屈を並べても、現代には存在し得ない世界であり代物を扱う。
そして、基本的に生死と直接関わっており、その事は法律で禁じられているからだ。
その中で「武道」を見出し、稽古として励むのは並大抵の事ではない。
何しろ、何一つその場で役に立たないし、役に立てられないからだ。
だから、巷にある「三日で出来る〇〇〇」のような訳にはいかない。
ほんとの意味で、自分に向かい合えなければ、自分に向かい合うということ、そして、間違いなく人生には終わりが来る、という事を自覚したい人以外は無理だ。
ただ、「技」そのものの考え方は、人生に役に立つ。
だから、例えば、有名な宮本武蔵の「五輪の書」が読まれているようなものだ。
しかし、この本は日本よりも海外の方で受けているように思う。
しかし、その五輪の書のたった一行、例えば「構えありて構えなしの教えの事」を、どうすれば実際として行動出来るようになるのか?とすると、そこには洞察力や分析力が必要だし、それを実現する為には「何をどうすればよいのか」が必要なのかを考え出さなければ出来ない。
その意味で、現代の作られた価値観としての、仕事やお金を追い回している人には無理だろう。
人間関係に問題を持ったり、悩んでいる人にはもしかしたら使えるようになるかもしれない。
だから、せめて一瞬の緊張感でも持てるようにと、「武禅一の行」があるのだ。
110回「武禅一の行」は、5月3.4.5日です。
沖縄ワークショップは5月30.31.6月1日、
夏の大阪ワークショップは8月1.2.3日です。
