切羽詰まるには

「切羽詰まれば智慧も湧く」これは、私は体験から実際の行動を通して思った事だ。

もしかしたら一家心中?というくらい、生活が逼迫した時に起こした行動から得たものだ。

現代社会で普通に仕事をして生活していれば、およそ考えられない状況だ。

私は、自分の音を追求していたから、その音でないと出さないと妥協しなかったから、そんな状況になってしまったのだ。
でも「切羽詰まれば」で切り抜けた。

ここを考え直してみると、「切羽詰まる」というのは、それでは駄目だ、それを何とかしなければ、という気持ちがあるから「切羽詰まる」のであって、そこに別の価値観や思い込みがあると、その「切羽詰まる」にはならない。

例えば、老老介護疲れで無理心中という例だ。

この時に、生活保護であったり福祉の方達への相談をすれば、切り抜ける事が出来る場合もある。
しかし、「他人の世話になりたくない」という思いを優先した場合、切羽詰まらない。
あるいは、「他人の世話になるのはみっともない」という見栄や体裁を優先させていると、行く先は無理心中になるだろう。

もちろん、それぞれの自由だから、生命よりも見栄や体裁を優先させても構わない。
その時に、不思議に思うのは「死に対する現実感」を持っているのか?だ。

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