2021年2月28日
大阪「明鏡塾」6期も3回目。初めての人が2人いるが、完全に「大阪明鏡塾」のノリに染まっている。 他の人は再受講組だから、どうしても同じカリキュラムでも高度な要求をする。その高度なカリキュラムにも、食らいついてくるから頼も […]
2021年2月26日
今、原稿を書く為に色々と調べ物をしている。その事では、ネットは本当に便利だ。「そういうことだったのか」と知る事が多いことに驚く。 それは、間違いなく私の興味不足のせいだ。「知ってどうなる?」という考え方を持っているからだ […]
2021年2月24日
昨日の撮影は、滞りなく終わった。私自身も「居合い」ということを改めて見つめ直す、考え直すきっかけになった。 「刀を抜かない」のが居合いの眼目だ。であれば、「刀を抜く」というのはどういうことなのか、どういう意味合いがその背 […]
2021年2月23日
今日はDVDの撮影がある。 撮影の難しいところは、見えているところは見えないことに支えられており、重要なのはその見えないところだから、それをどうすれば見えるように撮れるかだ。 撮影や実際に関係なく、見えるものは、見えない […]
2021年2月22日
自分以外の人、つまり、他人だ。私にとっての他人は、私を触発してくれる存在だ。会話の中で、あるいは、稽古の中で、色々な意味で触発してくれるからだ。結局これは、私自身の「何をどう?」という好奇心を、くすぐっている事だからでは […]
2021年2月20日
20代後半の若者が「精神修行」の為に武道を、と話していた。そのものは大変素晴らしいと思う。そういう視点を持つ人が若者にいる事も嬉しく思った。 しかし、ここからが問題だ。では、どうすれば精神修行になるのか?だ。ただ、何がし […]
2021年2月19日
昨年の「武禅一の行」の感想に 「向かっていない・遠くにいる・形だけ・全体がちぐはぐ・ふんわりしている、全て、自分が取り組み行動している事とは、異なった形として出ている。やはりか。何回やっても同じ反応だった。日常の中で、組 […]
2021年2月18日
「場違い」という言葉がある。それは、その場に相応しくない、場から見れば違和感があるという事だ。それは「空気を読めない」とも共通する。 最近、巷のセラピストが「空気を読めなくても良い」だの「そのままでよい」だのとのたまって […]
2021年2月17日
物事を考える、それは、もちろん思考であり、意識内の働きであり働かせている事だ。それは身体操作にも当てはまる。しかし、ここに矛盾がある。 身体は間違いなく意識で操作させて、身体に覚え込ませる。しかし、いざ身体を何かに対して […]
2021年2月16日
先週約50年ぶりに、大阪の住吉大社の前を通った。天王寺からいわゆるチンチン電車に揺られ、住吉大社の近くの友人に会いにいった。 この電車道には、思い出が詰まっている。駅の近くにあった、キャバレーの営業が終わったフロアーで、 […]