伝統武道

伝統武道
基本と応用は同時進行

「応用する」は、私達の日常的な生活だったり仕事を支えている。 子供の頃や学校で覚えたこと他、目に見えない、覚えていないような事まで、様々な出来事からの延長でもある。しかし、今まで出会ったことのない出来事に出会った時、頭の […]

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見えていないから分からない

よく「見たら分かる」と書くが、大方の人は「見えていないから、分からない」ということに確信が持てた。これは目が不自由だから、という意味でも、遠視や近視だから、という意味でもない。それよりも、つくづく「何を見るのか・見ている […]

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稽古は楽しいのだが

稽古を、ある程度理解している者同士の稽古は楽しいし稽古になる。しかし、稽古を「理解していると思っている人」とは、もちろん、稽古にならない。約束の形の運動を一人でしているだけになるからだ。 そんな人に限って、ベテランの人が […]

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私は信じない

「歩く」歩いていると、ものを考えやすい。何かに気づく時、閃く時、私の場合は歩いている時が多い。 しかし、最近は変わってきた。「歩く」から、足の運びの稽古をしているからだ。 一昨日迄は、骨盤の感じと股関節の緩みを、ずっと試 […]

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稽古初めにふさわしい1日だった

稽古初めの身体塾は、実業団の野球選手やピナバウシュのカンパニーで踊っていたダンサー、柔整師他、多彩な人が受講してくれていた。胸骨から肩、肘、背骨と定番から、その変形へと進んだ。武道塾は久しぶりの蹴りや体重の移動等々。動き […]

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稽古初めに

今日は「稽古初め」だ。と改まることでもない。私の稽古はずっとずっと連綿と続いているからだ。 これは、一重に物分かりが悪いからに他ならない。その視点から見ると、最近の人、大方の人は物わかりが良いのには驚かされる。ま、他人の […]

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突っ込むぞ!

意識というのは、人の機能として原初からあったのだろうか。そんな事が頭をかすめる。 もちろん、そのことの推論はでるだろうが答えなど現時点ではある筈もない。しかし、気になる。それは「言葉」という、伝達手段や考える為の手段、感 […]

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身体は小宇宙というのは

正月も3日になると、身体がうずうずしてくる。大体が多動児だから、余計にそうなる。じっとしているのは、何よりも辛いのだ。身体が原因不明の束縛を感じ取り、大声をだしたくなるし暴れだしたくなる。もちろん、それを貧乏ゆすり等で解 […]

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神田道場忘年会

神田道場の忘年会も終わり、「今年も行事は終わった」だ。忘年会は、だらだらと深夜12時、それぞれが終電車に間に合う感じで解散した。あんまり、だらだらの飲み会になっていたので、後半は「稽古納め」にした。 細い竹の棒に、水道管 […]

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チグハグな意見

昨日は神田道場の稽古納めだった。 最近道場に来てくれている女性の稽古を見ていて「あれと、これを比べて何が違うように見えている?」と質問した。答えは間違ってはいなかった。でも、自分自身がしている稽古、という立場の答えではな […]

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