かなり考えてみると

「武道とは?」色々な考え方があるが、私はそのどれもがしっくりこなかった。
だから、独学ということになった。

しかし、一体その「しっくりこない」は、どこに進んで行くのかも見えなかった。
その一つに実際としての「身体の動き」には、想像すら出来なかった。
ただ持っているのは「有機的な」という概念だけだった。
それがどうした?なのだ。

稽古を積む程にその輪郭が見え出した。
つまり、構造が薄っすらと見えて来たのだ。

まず「動いている=生きている」がある。
そして「動き=癖」だ。
だから、その「癖」を武道としてに修正する必要がある。

そこで大きくは「型」になる。
しかし、それだけでは「型→癖の延長」にしかならない。
それをじっくり考えると、身体を動かしていないことに気付く。
運動はしているが動かしてはいない。
つまり、身体そのものを管理できていないということだ。
その管理できていないというのは、身体の部位すら感覚化出来ていないということの発見になる。

部位を感覚化することで、多少なりとも身体を操作できるようになった。
そうすると「身体を動かしているのか?」という問題に直面する。
いやそうではない、「身体は動いている」に帰らなければならない。
つまり、身体操作ということで、自分の持つ「操作する」という意識が邪魔をしているという発見に辿り着く。
「有機的な」は、動物の持つ仕組みそのものだということだ。
そこで初めて、意識から解放された身体になる。
武道的身体の玄関に入ったということだ。

自粛から解放されたら、まず心と身体をリフレッシュ
東京ワークショップのお知らせ
64.5.6.7日 風通しの良い道場で少人数で行います。

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