人生波風一杯
入り身は懐に入ると同じ、人間関係の肝だ
「明鏡塾」では「入り身」をした。一般的には「懐に入る」と訳せる。難しい。 そもそもが、違和感を与える相互関係だからだ。相手が目を逸らせない状態、意識が一定の方向で止まった状態を作り出せたら、違和感とは別の世界を作れるから […]
飲み屋で放映されたテレビを見て盛り上がった
昨日は「東京明鏡塾」15期2回目の講座だった。今回は、宮城県の方からも受講している柔整師がいる。医師も受講しているので、角度というか視点というか、それぞれに違うところが皆の役に立つ。 昨日は、「明鏡塾」の起ち上げ当初から […]
陰謀だというならば、これこそ陰謀だ
「これとこれを比べる」大事な事だ。違いを知る視点であり、自分を知る視点でもある。 運動会で、みんな並んでテープを切るという話を聞き、耳を疑った。みんな並んでテープを切るという事が設定されているなら、どうして走る必要がある […]
対立しない、は、対立出来ないということではない
「相手と対立しない」というのは、武道の真髄でもある。 しかし、「対立出来ない人」になるのではない。対立しないというのは、逆にとことん対立出来るという事でもある。 また「腕力がある必要はない」とはいうが、それは腕力が無くて […]
当たり前の事だが、限界は常に自分が決めている
「身体の可能性?」と言えば「無い」、身体の「可能性を引き出すのは自分自身」だからだ。決して身体メソッドでもなければ何かしらの身体理論でもない。自分自身の目的や目標、あるいは、「こうしてやろう」という何かに対する意欲のよう […]
古流宗家との出会いは、新たな発見への糸口になるかもしれない
先日、日本の伝統武術古流の宗家とお会いし、少し交流の動きをした。また、古流の型を披露して頂いた。 宗家自身に興味を持ったのが、対談のきっかけだ。それは、フランス・パリでホームレスを3年間もやっていたという経歴があった事だ […]
「武禅」を終えてからも
久しぶりのブログだ。 「武禅」が終わるととにかく寝る。頭が回転しすぎて止まらないからだ。 道着を20着洗濯し、後片付け他諸々を終える。私は、直ぐにレポートを読み返信原稿に取り掛かる。同時にwebようのピックアップレポート […]
初日終了は午前3時30分
「武禅」は、思った通りの展開になった。最初の「真剣向かい合い」で全員けつまずいていた。その意味では、常連受講者もスロースターターだ。 初参加の人達は、目を白黒させながら付いて来るという、何時もの感じだ。 しかし、そこに誰 […]
今日から「武禅」それこそ吠える2泊3日の始まりだ。
今日から「107回武禅一の行」だ。毎回常連達の顔を想像しながら進行を考える。 それこそ「どうすれば?」だ。どのやり方が響きやすいのか?これを考えるのは不可能なのだが、よりそこに近づけたいと思うからだ。 先日、知人が面白い […]