人生

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イメージはいらん

「これは、こうします」と見本を見せる。すると「こんなイメージですか」と問う人がいる。 そんな場合、「なんでイメージがいるの?見たままや」という。その癖が、そのものをそのままに、が崩れてしまう元だ。 しかし、大方の場合は「 […]

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親心の歪み

いわゆる高学歴と呼ばれる人で、小さな子供の頃、親や周りの大人から叱られた事のある人はいるのだろうか? また、こんな場合もある。自分が子供の頃苦労したから、子供には苦労をさせないように育てる親、育てようとしている親は沢山い […]

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打たれ弱いのは不幸でしかない

「これで良いですか」と聞かれる。「あかんよ」と答える。意識を含んだ身体技術に関しては、良否の判定が難しい。 難しいというのは、技術そのものの事もあるし、身に付き具合の事もある。意識の変化もあるからだ。また、その時だけ出来 […]

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本来言葉の下地は愛情だ

方言には愛情が下地にある。 言葉は当たり前だが、気持ちの現れでもあるし、何かしらの伝達道具でもある。ただ、標準語になった時、前者の気持ちの現れは、極端に希薄になる。それは、私自身が大阪弁、さらに、下町の汚い大阪弁だからこ […]

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感性が先か技術が先か

ピアノを弾きたい、とした時、ピアノを弾く技術が先か、音楽的感性が先かを考える。もちろん、どちらでも良い。 但し、技術は魔物だ。つまり、技術にとり憑かれると、肝心の音楽的感性が忘れ去られてしまう危険性があるということだ。以 […]

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結果と過程は混っている

「過程が大事」だと気付いたのは「結果」との兼ね合いからだ。 「結果とは何か?」ということと、私は、その結果に向かっていただけなのか?という疑問が、私の中で頭をもたげていたからだ。そこに「時間」という軸を持ち込んでみると良 […]

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一寸自分を考えてみる

「人は見たいものしか見えない」あるいは、「聴きたいものしか聴けない」、つまり、自分の枠から出る事はない、自分の枠から出られない。当たり前だ。しかし、当たり前なのだが、その当たり前を当たり前だと気付くのには、それなりの過程 […]

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靖国神社へ

靖国神社へ初詣。もしかしたら、これ程ゆったり過ごしたお正月は無かったかもしれない。毎年何だかんだとPCの前に座り、頭の中を整理したり、新たに考えている事を書いているからだ。とりあえず、今年はそれを止めてみた。 でも、嬉し […]

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関わってくれている人のおかげ

そうか、大晦日か。今年はどうだったかな?と、思い出したように振り返っても、さほど何も出て来ない。 収穫?身体操作、そうだ、身体と意識の関係は間違いなく深化した。自意識が動きに余り干渉しなくなっている。「純粋身体運動」と命 […]

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自分の内面に気付く

「武禅」や「明鏡塾」の感想やレポートが届く。自分自身の内面に気付いている人の感想を読むと嬉しくなる。逆に、上っ面なこと、方法に囚われている事を書いているのを読むと寂しくなる。 もっというと、こうも人というのは違うのか、と […]

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