「その人」と向かい合えていないよ、ただ眺めているだけや。

9月も終わる。

後3か月で今年は終わる。
それくらい時間は速いから、コロナはどうだってええやろと思うが、巷や政府は違うようだ。
ま、それは勝手にやって、という感じだ。

新しい考え方に挑戦する。考え方といっても身体を使っての事だ。
10分くらい経つと「出来た!」と声が上がる。
「そうそう」と組んだ相手が出来た事を喜ぶ。

ワークショップや道場、そして「武禅」でも見かける光景だ。

「何でやねん!」私が確かめて見る。
「それは全然違うで」で一からやり直す。
これも常に見かける光景だ。

「新しい考え方」という言葉は知っていても、それに挑戦する時、その考え方を吟味してから取り掛かる、という事をしない人が殆どだ。
自分の頭の中にある「新しい考え方」という言葉だけで、その実際という事は知らないのだ。

身体の動きで言えば、身体を使っての実験をしない。当然、その新しい動きの何が新しいのかは分からない。

そうすると、それは「新しい考え方」でもなければ何でもなく、自分の単なる癖だがやっている事だ。
つまり、新しい考え方を手に入れる事は出来ない、という事だ。

ここで取り組み方に気付き、そこを変えていかなければ、本当の意味で新しい事、現在の自分とは異なる事へは進めないのだ。

こちらも、どれだけ単純に、どれだけ取り組みやすく出来るか?を考えるが、結局は、ここの壁に気付かない限り、そして、そこで自分を見詰めない限り無理なのだ。
そして、ここの気付きは、自分の力でしかこじ開けられないのだ。

「武禅」の、「声を届ける」ワークは、ある意味で日常を過ごす自分自身の否定であり、いかに人は怠惰に他人と接しているかを知るからだ。
しかし、そうはならない人もいる。

知識や方法として捉える人だ。
この場合は、完全にすれ違っているので、つまり、自分を他人事のように扱っているので、自分自身に点火させる事は出来ない。
自分自身の否定というのは、「こんな状態で日常を過ごしていたのか」と気付くことだ。

前回の受講者の感想から
「全員と向い合いを行い、人それぞれの感じ方を聞いて、自分がちゃんと相手(その人と)と向き合えていないと感じました。
この状態では、仕事でも部下や後輩に、その瞬間に向き合えてないんだろうなと思った。
逆に自分が判断する側に立った時、「この人向き合ってないな」と感じたので、自分がちゃんと向き合っていなければ、相手に直ぐに伝わる(そう思われている)と感じました。」

このままの良い気候で「武禅」に突入したいと思っているのですが、天気の事は分かりません。
キャンセルがでました。残り2席あります。

表情を動員せずに目だけで。このアイコンタクトはすこぶる難しい。日頃、そんな事をしないからだ。

Follow me!