人の相互関係が人の成長を促す
FBを見ていると、この時期海外にいる事が多かった。
もちろん、コロナ禍迄だ。
フランスやドイツ・スイス他の記事が出てくる。
そんな中で、解散したフォーサイスカンパニーでのワークショップもあった。
どう思い返しても、ここでの10年間は私を大きく成長させてくれたように感じる。
彼らの要求のおかげで、私の感性はフル回転したからだ。
世界トップレベルのダンサー達が求めるものを提供し、それ以上を課題として提供したかったからだ。
それは、フランスで熱心に受講してくれる武道の人達も同様だ。
つまりは、「人は相互関係でのみ成長する」という事の実際だ。
そのフォーサイスカンパニーでのワークショップの時、一人のダンサーが「日野は私達に重要な事を提供してくれているが、日野は一体ここで何か得る事はあるのか?」と質問して来た事がある。
その時、一瞬言葉に詰まったが、「皆から得るものは、君たちよりも多いと思う」と答えた記憶がある。
その時、ダンサー達は「ほんとか?」と怪訝な顔をしていた。
きっと「相互関係」という実際を言葉化した事が無かったのだろうと思った。
「明鏡塾」にしても、尾森君やその他の求める面々。
そして実力がある人達がいるから、私自身も「それ以上」を自分の中に探せるのだ。
人はどこまで行っても「相互関係」なのだ。
私は職業柄色々な種類の人達と会うが、そこでこの様な相互関係的何かがあるかというと、それは稀だ。
それは大方の人は自己完結している、あるいは、自己完結するので関係という事にはならないのだ。
もちろん、当人は自己完結しているとは思ってもいないが。
この自己完結の枠はどうすれば外れるのか、も考えるが、結局のところ当人次第なので他人がどうする事も出来ない。
私はそれよりも、自分のやっている事を探求する方が、結局は「明鏡塾」やワークショップ、「武禅」に来る人の役に立てるのでそちらに向かう。
今は、春の「武禅」の事に頭が回っている。
一人でも目の色が変われば良い。
その為にどんなプレッシャーが良いのか。
大方の人は頭の中にある事と、現実との境目が希薄な人が多いからなのだが。
一寸したボタンの掛け違いはどうして起こるのか?
春の「武禅」は4月28,29,30日です。
詳しくは
https://hino-budo.com/buzencurriculum