2019年5月
答えを見つけ出すために
同じことを延々と繰り返す。但し「こうかな?」という自分の作った問題に対しての答えを出す為だ。同じことを繰り返す。 ドラムで言えば、練習台では叩けるのに、ドラムセットとなるとそうはならない。もちろん、跳ね返りが微妙に違うか […]
ハーモニーとは人が関係された状態だ
調和、ハーモニー、アンサンブル等々、音楽での合奏や合唱での表現がある。これらの言葉は、私もよく使う。身体の動きという事でも使うし、多くの人の集まりでも使う。 もちろん、私は既成の音楽的な意味合いで、これらの言葉を使ってい […]
答えを知っても意味がない
「硬い」の話をしている最中にふと感じた事がある。それは、こういった説明や、色々な要素を話すが、それは、ある意味での答えにあたる。本来、その答えは自分自身が出すものであって、誰かから聞くものではない。また、その答えはどこで […]
自分への問いが一番大事
昨日は大阪の久しぶりの稽古だった。「硬い」ということでの話になった。これを説明するのは中々難しい。 単なる柔軟性での、硬い柔らかい、手が床に着く着かない等は説明するまでもなく、ということだが、内面に関わる事なので難しいの […]
自己満足バンザイ!!
どうすれば「力み」が出るのか?千差万別だ。だが、そこを個人は探索しない。つまり、自分を確かめないのだ。 「どうして?自分のことなのに」と私は純粋に思う。それほど、人は自分の事を放ったらかしているのだ。それよりも、巷のどう […]
脳みそから血の汗をかけ
とにかく数、量をこなすしか方法は無い。だから、量は方法を発見する為の下準備ようのものだ。また、量は次の課題を発見する為のものでもある。それらは、ドラムの練習で気付いた事、発見したことだ。 スティックを肌身離さず持っている […]
身体は動いてくれている
熊野は生憎の雨、しかもかなり強烈に降っている。同時に道場にも雫が垂れている。来年は、海外を全部キャンセルし修理に費やそうとも思う。木だから、どんどん痛むばかりだからだ。水は出ているが、この雨で水量が増し水源が壊れない事を […]
8期明鏡塾、終わった
「東京・明鏡塾」8期Ⅳを終えた。手の感覚はどれほど正確なのか、というワークをやった。みんな考えられないくらい粗雑だった。対象の人から反応を感じ取る、ただこれだけのことだったが、「これは習っていない」と言っていた。 しかし […]
聴くという全身フル稼働
「聴け」と私は言う。それは、聞こえてくるのを待つ、という意味ではない。待つという消極的姿勢は、多分生物には無いだろうと思う。特に野生の動物には無いだろう。自分自身の身を護るレーダー機能を使わない、ということでもあるからだ […]
自分に持つ欲が無いのかな?
「全力を出し切る」とは言うが、アスリートでは無い限り、自分が全力を出しているのかいないのかを見極めるのは相当難しい。にもかかわらず、この言葉は多用されている。多分、言葉の持つ雰囲気が良いからだろう。 それは良いのだが、こ […]