答えを知っても意味がない
「硬い」の話をしている最中にふと感じた事がある。
それは、こういった説明や、色々な要素を話すが、それは、ある意味での答えにあたる。
本来、その答えは自分自身が出すものであって、誰かから聞くものではない。
また、その答えはどこで使えるのか?という問題もある。
武道では、要素の稽古、つまり、パーツを精密にする稽古をするが、そのパーツはどこに応用するのか、出来るのかという問題だ。
パーツというのは、全体があるから存在するものであって、部分は部分としてあるのではない。
当たり前だ。
自動車のタイヤだけ選っても意味が無い。
自動車はジープだから、そして、ダートコースを走るからこのタイヤでなければいけない。
と、部分と全体の関係があるのだ。
だから、全体を明確にしていなければ、パーツは一切の意味を持たないものだ。
そこから行くと、まず全体を明確に身体に染み込ませる。
その上で、そこにある要素としてのパーツを練り上げていく、それが作業の順序だと見えてくる。
ドラムを練習していると、色々と問題が浮上する。
その中で一番重要な問題は、跳ね返りを拾うことだ。
どうも、その手に違和感を感じる。
だから、他の練習に切り替え、その跳ね返りだけを確認したりする。
そういったことを繰り返していると、また問題が身体に見えてくる。
肘に力みが入る事だ。
そんなことに気付いて修正する。
だから、身体の性能はますます良くなるのだ。