本気=何が何でも

よく「本気で」と書き行き詰まってしまう。
本気を変換出来ないからだし、私自身の中で整理できていないからだ。
ふと、何時も使っている言葉で、本気に見合う言葉に気づいた。
それは、「何が何でも」だ。

もちろん、順序として「本気」があり、それは「何が何でも」と続くのだが。
本気でこれをしたい、と思った時、「何が何でもか?」と自問すればよい。
そこに隙間があれば、あるいは、何がしかの言葉が入ってくれば、それは「本気」ではないという事だ。
本気には言葉はない。
その本気に見合った行動がそこにあるだけだ。
「動いてしまっていた・言ってしまっていた」になり、それこそ武道でいうところの心身一如の状態だ。

ま、そんなことはどうでもよくて、とにかく「何が何でもか、どうか」が本気の側面だ。
「本気でこれをやります、やりたいです」という若者は多い。
しかし、結果として3日坊主になる率も高い。
もちろん、それが悪いのではないし、間違っているのでもない。
「本気でやる」から、自分の思っていたのとは違う、と判断しやすいからだ。

昔は「尻をワルな」とよく言ったものだ。
尻を割るというのは、三日坊主は駄目だということだ。
何でも辛抱すれば、結果は付いてくるという事でもある。

私が、親から何時も言われていた言葉だ。
尻割のアキラと言われていた。
これは、先程の一生懸命にやるから、「これは違う」と判断していたからだ。

しかし、私も「諦めずにやれ」という。
これはどういうことだろう?
どうも、自分にピタッとくることと、ピタッと来ないことが、事前にあるような気がするのだ。
ピタッと来るものを選んだ時「諦めずにやれ」だ。
ピタッと来ないものも、自分では分からないから取り組む。
しかし、三日坊主になる。
それはきっとピタッと来るものでは無かったのだろう、と解釈するしかない。

何かに取り組み続けているが、今一つ自分として成果の出ていないもの、自分の思った、あるいは想像した自分にはなっていない場合、一歩下がって自分を観察する必要がある。
ピタッとではないかも知れないからだ。

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