ワークショップ
今年も1/3が過ぎようとしている
あっという間に4月も半ばになろうとしている。という事は、今年も1/3を過ぎようとしているという事になる。 昨日の日曜日は、レスリング少年が兄弟揃って受講してくれた。兄弟が出場する世界選手権代表選手権や、全日本ジュニア選手 […]
沖縄、今日は舞台での在り方だ。
一日早く沖縄に入り、何時もダンスのワークをやっている。今日は香音ちゃんとチエリちゃんが、東京から来ていたので「ダンス」というよりも、舞台での在り方や「魅せる」という事について稽古や話をした。 技術は、一寸踊れるからといっ […]
意味不明の言葉よりも気持ちに反応しよう
子供は間違いなく「気持ち」に反応するが、大人は残念ながらそうはならない。
「どうして?」
その反面、意味不明の言葉を口にする大人は多い。
例えば、後ろから両肩を持たれている状態から「ねじれ」を使う、というワークで「後ろの人を感じて下さい」と指示を出す。
出来る人もおれば出来ない人もいる。
その出来ない人に「今、どうした?」と質問すると「後ろの人を意識してました」と答えた。
「意識していたというのは、どうやって?」と質問を重ねると「いや、意識していました」と答えるばかりだ。
で、改めてそれをやってもらった。
受講者の変化が嬉しい、それがワークショップを開く醍醐味だ
「こいつは何や?」と初日に思った人の目が、今日は生き生きとしていた。
「おお、ええやんけ!でも、もっと行けるから気合をいれや」
「ありがとうございます。昨日言われてからホテルに帰り、鏡とにらめっこをしていたら、ほんとに生気のない死んだ目でした。これではいけないと奮起しました」
そうだ、私が言ったからそうする、ではなく、私が言ったことが本当かどうか、自分としてどうなのかを確認する必要があるのだ。
そして、自分自身で気付く。
それに勝るものはないのだ。
ワークは新しい運動を知るのが目的ではない、運動を通して身体を知る事だ。
ワークは、単純な運動を指示し、それをどう取り組むのか?身体に対してどんなアプローチをしているのか?を視る。
つまり、ワークは運動ではなく、「その人がどうするか」があり、そこから「自分自身に気付いていく」がテーマだ。
それが現在のメインテーマだ。
中々書けない、コロナだから?もうええわ。
バタバタしていたりwebページ作りで時間を喰ったりで、中々書けない。という間に1月も後半に入った。 体感的には「まだ?」という感じがしないでもない。色々ある時の時間感覚はそんなものだ。 2月に入ると大阪と沖縄のワークショ […]
目を閉じる、目を開ける。そこにある感覚器官の違いは何だ?
それを目を閉じて、皮膚を接触した状態を作り、その皮膚が離れる瞬間に動く、をやると一瞬遅れる。
これはどういうことだろう?
先日の稽古の時に発見した出来事だ。
瞬間(同時)に動いていたと思っていたところに、一瞬の隙間があったのだ。
もしかしたら、皮膚感覚だけに集中してしまっているからではないか?
生徒との検証時に気付いた。
今の今まで気付かなかった事に苛立つ。
大阪ワークショップは2月3.4.5日です。受付開始しています。
何時ものように「身体塾」は、身体を効率よく使うには?という事で、各関節を「感じ取る」「関節を繋ぐ線をストレッチ」をして覚える。
一寸耳慣れない言葉ですが、武道で培われたものです。
若い内に一つの事を語り合えるクセをつけろ、徹夜で答えの無い事を語り合え
「良い友を見つけて、一つのテーマで3日4日徹夜で語り合えるようになれ!それが出来るのは今だけやからな」とも。
この「答えが無い事を徹夜で語り合う」という体力や集中力は、この時期に養っておかなければ、30代40代になってからは、本当に難しいと思う。間違いなく頭が硬くなっているからだ。