ここから間違いなく変化した
「ノーベンバー・ステップス」から吐き出された琵琶の打撃音は強烈だった。
そこに斬り込む尺八の息の鮮烈さは、琵琶以上に空間を切り裂く感じがした。
まるで剃刀だ。
日本刀の切味を知る由も無いが、それよりも間違いなく鋭かった。
その音を聴き、西洋音楽とは異質の世界を知った。
「日本」をおぼろげにしか捉えていなかったと、その時に知った。
この「ノーベンバー・ステップス」の前後どちらかは覚えていないが、法竹(ほっちく)という楽器というか、藪に生える竹を切り、そのまま吹くという音楽も知った。
もちろん、同じ友人だ。
22歳1970年だ。
どうして、これを鮮明に覚えているのかというと、この友人の家に居候していたのは、住んでいた蛍池の住宅が、裏からの類焼で全焼し住んでいるが無くなったからだ。
この友人とは、阿倍野のキャバレーでのバンド仲間で、彼はピアノを担当していたのだ。
彼のおふくろさんが、新聞に載っていた住宅から火が噴き出ている写真と記事を切り抜いておいてくれていた。
それくらい、大きな火事で確か20世帯くらいは焼け出された筈だ。
当時私は、スタンダードジャズには違和感を感じ、前衛的な音の中に自分の世界を見出そうとしていた。
そのタイミングで、居候先のピアニストが私にとって新しい世界に触れさせてくれたのだ。
その意味で、私の恩人でもあるのだ。
その音を知った以後は、完全に何かが変わり現在の私への基礎作りになっていったと思っている。