ほんとにささやかな喜び、でもそれは私だけのモノ
還暦の時、ドラムソロコンサートを東京と大阪で行った。
何を間違ったか、大きな会場を選んでしまった。
大阪は松下の円形劇場、東京は青山のスパイラルホールだ。
両会場とも500人ほど入ってくれた。
もちろん、ジャズ時代のファンだった人から、現役のミュージシャンも動員、そこから客を伸ばしたり、武道関係で他の道場の師範に頼み、お弟子さんに呼びかけたりしたおかげだ。
この時25年ぶりだった。
だから、それなりに思い入れがあり、約1時間の叩き捲りソロは成功した。
実はこの2回のコンサートで、手の私の癖を取りたいと思った。
昔は力技でガンガンイキ捲って、「アキラの音は大きすぎる」とミュージシャン仲間の皆から不評だった。
そんな事はお構いなしに、力技を駆使していた。
しかし、還暦にもなると、その力技が効かないのは分かっているので、何とか誤魔化して乗り越えた。
それは、一つは武道をやっているおかげで、身体が殆ど力まなくなっている事が幸いしたのだ。
しかし、それもこのコンサートをやった事で、そこまで抜けていない、ということを知った。
武道ではなく、ドラムを叩く事、それも1時間という極限をやったおかげで、「まだ駄目」を知ったのだ。
同時にスティックの握りも力んでいるのが分かった。
このスティック操作は、次までに絶対に治してやろうと思ったのだが、古希には間に合わなかった。
それから7年たった今、僅かだが操作が見えてきた。
もちろん、これで実際に叩けるのか?というと、それはまだだ。
しかし、そこまで還暦から17年経っているのだ。
一寸したことに気付いて、その一寸したことを修正する、そんな事は誰にも分からない。
昨今、1年で出来た、数ヶ月でマスター等々色々あるが、指の力を抜く、たったそれだけのことが17年もかかっているのだ。
逆に17年間も続けている粘り、これがなければ何事も成し得ない。
もちろん、プロのミュージシャンならファンが気付くかもしれないが、私は今や完全な素人だ。
だから、練習台の前で、一人で「ニタッ」しているだけだ。
誰にも分からない喜びが、私にとっては財産だ。
そこを歩いているのが、私だけだからだ。このオタクチックな囁かでほんとに個人的な喜びを味わえる私は、きっと幸せなのだ。
