その場の閃きやで
「ええ~、あれも即興なのですか?」私のDVDを見て研究しているトレーナーの質問に答えたものだ。
「俺のやっている事の殆どは即興やで」だ。
道場で稽古をしているのは、殆ど基本だけだ。
もちろん、その基本の要素をそのままそっくり残して、飽きないように形を変えているだけだ。
だから、「今、何をしているのか」を明確に理解できていない人には、相当難しい稽古になる。
でも、「何をしているのか」を理解できている人にとっては、形が変化する様を遊べるのだ。
そこが実力差だ。
数学で公式を覚え、その応用をしているようなものだ。
だから、勘では出来ない。
頭をしっかり使い、要素を身体で体感として理解していなければ「それ」にはならないのだ。
そんな稽古の仕方は、私がジャズドラマーだったから発見していった事かもしれない。
とにかく、「何?これ?」という動画は、全部即興でその場でやったものだ。
公開している動画で、その面白い第一号は、「浸透する蹴り」だ。
これは、影伝1だと思うので、約30年程前になるかな。
とにかく、20数年から30年の間だ。
撮影の休憩の時、私の蹴りではミットを持つ人が飛ぶが、生徒の蹴りではどうして飛ばないのか?等の話をしていた。
そんな時に、閃いた。
「ミットを持つ人の後に立って」と指示をし蹴ってみたら、後の人だけが飛んだ。
であれば、という事で2人、3人と数を増やしていったのだ。
そんな中で、あの「浸透する蹴り」が生まれたのだ。
でも、その後、それを練習したことは無い。
その都度やるだけだ。
そういえば先日、高校の空手の先生と稽古について話し込んだ。
その時、ラグビー部の監督がやってきて、ラインアウトでジャンパーとの息が合うにはどうすれば良いのか?と質問された。
詳しくその仕組みを聞き、ではこうすれば、とアドバイスした。
元全日本にいた監督だが、そんな発想は誰にも聞いたことが無い、と驚いていた。
それは、私が「出来ない」からだ。
出来る人が考えるのと、出来ない人が出来るようになるには、を考えるのとでは全く違う発想になって当たり前だ。
これが即興の妙技だ。
話を戻すと、どうしてその稽古をしないのか、というと、稽古は基本稽古で足りており、それで応用できないのであれば、基本稽古そのものが間違っている、あるいは、取り組み方が間違っているという考え方を持っているからだ。
あくまでも、4分音符を正確に叩く、16分音符を正確に叩く。
その「正確に」の向こう側にイメージがあるのだ。
この考え方での正確とは、音楽と同じ意味合いでの正確にだ。
正確を自分自身に要求するから、身体の感覚が鋭くなってくる。
ただし、難しい、というより根気が必要なのだ。
大方の人の動作は「雑い」。
それは、自分自身で「身体定規」を作り出していないからでもあるし、結果の姿が無いからだ。
その後の、ナイファンチもしかり、様々な体重移動もしかりだ。
即興でやっただけだ。
大阪のワークショップは9月21,22,23日です。