目的を持って使う時、何もかもを変えなければ使えない
「体重移動」の基本形は運足にある。
逆に言えば「運足」それが体重移動の為のものだ。
と改めて言葉化すると、難しい感じ、あるいは、何かしらの理論のような感じがする。
言葉の使い方というのはそういう事だ。
当たり前の事だが、歩くというのは、自分自身、自分の体重を移動させているという事だ。
つまり、誰でも日常的な動作の一つとして使っている事だし、営みの一つだ。
その事と武道化された「歩く」は違う。
つまり、体重を武器として使わなければならないからだ。
一つは、身体そのものの固体化だ。
俗に「一つになる」という事だ。
また、身体の任意の部位に体重を乗せて行くという使い方をする。
大きくはこの二つだ。
そんな事を、つまり、抽象化した要素を稽古で身に付けて行く事が、武道という稽古だ。
こういった解釈の仕方、分析の仕方から「関係」とは?を突っこみ、出来るだけ抽象度を高くして、誰にでも使えるように考えた。
「誰にでも」だから、これは難しい。
一般的には「誰にでも出来る」とくれば、3日で出来るのだろう、という想像が働くが実はそうではない。
誰にでも通用させるのだから、それは一番難しいという事だ。
でも、簡単なのだ。
判断しなければ良いという事だ。
これは筋肉と似ている。
表層の筋肉を主に使っている時は、深層の筋肉はさほど働かないが、深層を使うように心掛けると、表層の筋肉は柔らかく余り緊張しないのだ。
これと同じで、思考を働かせると感覚は鈍り、感覚を働かせようとすると思考を鈍らせなければならないのだ。
「108回武禅一の行」行会です。残席は5席です。