やり直しは出来ない、という考え方

ここしばらくブログも何もかもが止まっている。
「武禅」が終わった後は、しばらくこれが続く。
レポートの返信や諸々の整理があるからだ。

現在を現すレポートが多いのだが、その中でも典型を現しているコメントがあった。
「ちゃんとやろうと思わずに、ちゃんとやれる自分に早くなりたい」がそれだ。

ちゃんとやろうと思わずに、という事は、そう思っているということだ。
でも「ちゃんとやれない」現実がある、

つまり、ここに時間差を作り出しているのだ。

言葉と実際との時間差だ。
むろん、その差が短いほど良い。

このコメントの場合は、時間差は相当あるように感じる。
この「ちゃんとやる」というのは、思った事、言われた事等を間違わずにそれ以上にやれた、という状態になる事だ。

問題は、その為にこのコメントを書いた人は何をしたのか、あるいは、何をしてきたのかだ。
ただ単に「間違わずに」と思ってやっていたのではないだろうか?

そんな事はあり得ないので、きっと自分で気付く範囲の何かを気にしながら注意しながらやっているのだろうと思う。
しかし、抜けているのはその時間差を無くす事だ。

つまり、やりながら修正する、という癖付けが出来ていないのだ。

そうすると、「やりました」「駄目だった」「やり直す」この繰り返しだと思う。
そうではなく、「やってます・修正しながら・やり続けてます」が必要なのだ。

武道の稽古でも見ていると、失敗しました、間違いました、自分の準備不足でした、、、、色々ある間違いの原因はどうでもよくて、「やり直してもよい」という癖が付いてしまっている事が「出来ない原因」なのだ。
つまり、「やり直しは効かない」という考え方が教育されていないからだ。

これは究極のプレッシャーでもある。
だから気持ちが強くなるし、一つ一つの行為に丁寧になっていく等々、自分を形成する要素がかなりそこで育まれるのだ。

むろん、何某かの競技者であれば当たり前の事だ。
競技は全て一発勝負だ。
その意味で「競技」は、使い方次第取り組み方次第で人を成長させる形式なのだ。

東京ワークショップは12月1,2,3日です。

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