相手に真剣に向き合う
「真剣に」は、武道や武禅では常に使っている。
「背水の陣で」という感じだ。
だから、一般的な集中とは少し違う。
集中は自分だけのものだが、この場合の「真剣に」は、相手という対象がある。
その相手に対して、行為に対して「真剣に取り組む」のだ。
これは意外と難しい。
というか、その意味で「相手」を意識的に捉えなければならないからだ。
つまり、「改めて」なのだ。
日頃は何気なく誰かと日常会話を交わす、あるいは、仕事で仕事の会話を交わす。
医師が患者さんと会話をする。
全ての会話は、余程でないと意識されていないのだ。
当たり前だが、そこには相手が見え、相手の声が聞こえ、その話の内容を理解できるからだ。
つまり、自分の意思や意識が相手に向かっていなかっても、日常には何ら支障は起こらないということだ。
では、本当に支障は起こっていないのか?
そこを、殆どの人は突き詰めない。
ましてや、相手の人には突っ込まない。
ということは、言葉で表されている事は理解できても、俗にいう「内心」は分からないし、「内心」には働きかけていないという事だ。
相手から「内心気持ち悪い」と思われていたり、「何を話しているのか分からない」とか「誰に話しているの?」と思われているかもしれない事を、お互いに全く気にしていないという事なのだ。
しかし、実際は気にしているのだ。
だが、肝心の相手と真正面からぶつかるという習慣が付いていないので、それは出来ない。
大方が、相手の事はこちらが「自己完結」する事で終わっているのだ。
「明鏡塾」では、医療従事者を対象に「患者さんに」という講座を開いている。
※「武禅一の行」は、一般の人向けの「相手に」の講座だ。
そこでは「患者さんに」なのだが、その事を実感するまで相当分厚い壁がある。
言葉ではその事が明確に見えないので「触れる」という方法を用いるが、これも感覚が鋭くなって来ないと「触れられているかいないか」のジャッジは難しい。
逆に言えば、それほど相手(患者さん」が不明確なのだ。それは同時に、患者さんの反応を的確に把握できないという事なのだ。
「相手がいない」何とも不思議な日本語だが。