どうだって良い事を

一寸書かないうちに日が経ってしまった。
それこそあっという間だ。
人生も同じだ。

そんな事を思っている間にも時間は経過している。

その時間を縦割りで感じ取るのではなく、ベタッと感じ取る。
それは、ジャズを演っている時に訓練した事が役だっている。

小節を取り払う訓練だ。
小節はある意味で時間の経過を現しているので、その垣根を取り払うのだ。

4小節が2秒なら、「2秒」という空間を体感するのだ。
先ずは4小節、8小節と延ばしていき、1分3分と時間感覚を覚えていく。

そうすると、その時間内に表現する内容を、音符に制限されなくなってくるのだ。

先日、この事をふと思い出した時、ベタっとした時間空間は、記憶されたエピソードを思い出しているのと似ていると思ったのだ。
現時間が有り、そこから例えば20年前の記憶に一瞬で戻る。

戻った記憶の時間空間は、現時間の流れとは異質のものだ。
そこの空間と似ているのだ。

それが何の役に立つのかは無いが、そういう体感覚を持っている事が、何かしらの発想をもたらしてくれる筈だ。
いや、既にもたらしているのかも知れないが、それは無意識的なところなので分からない。

つまり、「どうでもええ」のだ。

107回「武禅一の行」は、10月7,8,9日にあります。残り1席です。

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