観客と対峙していたから

Jimi Hendrixが聞こえて来た。
すると一気に記憶が60年代に戻る。

良き時代、というのではなく、エネルギー溢れるミュージシャンが溢れていた事、そのエネルギーに振り回された観客が会場で大騒ぎを起していた事。
そんな事を思い出す。

その渦中で演奏していた私達。
演奏は、その渦を作る為のものだったような気もする。

他の人は知らないが、私達日野あきらトリオは、間違いなくそれだった。
それは間違いなく観客と対峙していたからだ。

音楽を演奏家の自己満足から、直接観客に対するアジテートと言う形になり対峙したのだ。
もちろん、こんにちのような、言葉だけの温い共有ではない。
誰にでも受け入れられる種類の音ではない。

そして、共有など出来る筈もないという垣根もしっかりと持っていた。

だから「良き時代だった」のではなく、私にとってのそんな時期だったのだろうとなる。
つまり、人の成長に欠かす事の出来ない思春期のようなもの、イヤイヤ期のようなものだ。

この時期に得たものは、その時は時間が過ぎただけのように分からなかった。
しかし、音楽を通して振り返ると、「感性」という本能的な感受性を、より繊細で鋭敏にさせてくれ、芸術に適応する様にした時期だと思える。

つまりは、生命と芸術の隔たりを無くした感性に上書きされたのだろう。
その感性は「武道」により、より鋭敏になっていったのだろうと思う。

107回「武禅一の行」は、10月7,8,9日にあります。残り1席です。

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