どこかで教えている事ではない、だから難しいで
今日の熊野は凌ぎやすい感じだ。
「秋」だ。
夜、窓を開けては眠れない。
毎年こんなことを書いているから飽きてしまう。
もっと他に書くことはないのか?とは思うが、書いてどうするんだ?とも思う。
ま、基本天邪鬼だから仕方が無い。
それこそ昨日の「あと何年やれるかな、書けるかな」だ。
大阪10期の5講座は、高難度の稽古だった。
意識の即切り替えや意識の誤魔化し方、そこに付随する感覚等、そこが「施術・人間関係」にとって大事なのだ。
こういった事を、知識ではなく明確化し稽古に、つまり、現実に落とし込んでいるのは、日野武道研究所だけだと自負している。
私自身が求めているものは、私にも分かってないが、興味の方向は決まっており、そちらを実際的に稽古に組み込んでいるからだ。
「明鏡塾」では「感覚を掘り起こす」という言い方をしているが、それは自分の現在の思考をショートさせなければ、深い感覚は動き出さない。
それは、現在の思考に足していくものでは無く、ショートさせ新しい回路を引き出してくるものだからだ。
ショートさせる仕掛けもその場で作るが、強情な人は中々ショートしない。
ま、それは仕方が無い。
そういう緊張感も「明鏡塾」ならではなのだ。
それは、どこかにあるマニュアルを伝えたり、デモとして行っているのではないから、つまり、私という人間が導き出した要素を、私という人間が生で受講生に接しているからだ。
その意味で、巷にマニュアルなど無いから、理解できる筈はないものなのだ。
大阪明鏡塾で一番古い、つまり、1期から受講し再受講をしているベテランの柔整師は「明鏡塾で教えてもらっている事は本当に難しいことなんだなぁと感じてます。」とレポートに何時も書いている。が、それは何期か続けていてやっと分かったとおっしゃっていた。
医師や歯科医師、柔整師、鍼灸師他、そして年齢も幅が有る人達が、アドバイスをしあい、あるいは、ふざけあい講座に向かい合っている。
香川・愛知・岐阜・福岡・大阪・京都・奈良と色々なところから毎月来てくれているのだ。
この「明鏡塾」は、それこそ後何期出来るかと言えば、後10期出来たら上等だろうと思っているので少し焦る。
107回「武禅一の行」は、10月7,8,9日です。