技は時間の蓄積以外には成せない
今回のパリとベルギー・パリスールのワークショップは充実していた。
フランスで日野武道研究所の道場を最初に起ち上げたデビットは、パリスールの近くフランスのメッツだ。
だから、パリスールにも来てくれていた。
いつも書いているように、十人十色だ。
それが外国の人となると、きっとそういう違いだけでは分けられない区分けがある事が分かる。
単純に言うと、常識観がそれぞれに違うという事になる。
十人十色の場合は、一応常識観は共有しているからの言葉だろうと思った。
「同じ事を共有する」武道はモノではなくコトだ。
誕生は何時なのかは分からないが、戦となればきっと人類誕生からあるのだろうと推測する。
そんな事を考えるのは、稽古風景を見ているからだ。
自分が「相手を制する」コトは、一生懸命するが、そうではなく、その動作の一つ一つ正確にとなると、途端に雑になる。
その雑になり方が十人十色なのかもしれない。
もちろん、そうなるのは「その人にとっての武道」だからであって、「武道」という抽象化されたものではないからだ。
もちろん、日本人であっても「抽象化された武道」という認識は持って無いだろうし、そう認識した事も無いと思う。
という側面。
また、技術という側面もある。
技術は抽象化された言葉の実現という面だ。
例えば直新陰流に残る言葉に「直心(じきしん):まっすぐな心。心に曇りやこだわりがない状態。不動心(ふどうしん):何事にも動じない心。晴れ渡った空のように清明な心。」とある。
もちろん、「理解は出来る」がそれでは意味が無い。
「技」としてどう現れるのか、あるいはどう現れるようにしなければならないのか?
ここが「伝統文化」の継承で一番難しいところだ。
これは、伝統文化としての「茶」や、様々な芸事も同じだ。
ここを継承するからこその「伝統」である。
この伝統技術ということで、全く畑違いの世界の中に日本の技術の凄さが語れていた。
詳しくは省くが、原子力潜水艦建造時に、最重要技術として溶接があるそうだ。
何でもその溶接個所、一ヶ所の検査は世界平均で15分だそうで目標値が12分だそうだ。
日本は何と7分で検査し終えるのだ。
つまり、修理点検時の時間が恐ろしく短縮できるということになり、それは生命を運んでいる潜水艦としては最重要項目になるそうだ。
それは1964年の新幹線の完成から、毎日線路を点検修理をしてきた技術の蓄積でしかない、と日本の職人さんはアメリカやドイツ、フランス等の原子力潜水艦の関係者に語っていた。
つまり、「技術は日々の積み重ねで完成に近づくものだ」という事だ。それを聞いた海外の関係者は、「私達はものづくりという視点を考え直さなければならないのではないか」と括っていた。
これはジャズドラム(音楽)に取り組んで来た私にとっては当たり前の事で、1年や2年、ましてや1週間で何かになる筈も無いのだ。
ここの「技」は、もちろん武道の技の形成とも共通する。
というよりも、日本におけるあらゆる職人さんの持つ世界観や哲学と共通するものなのだ。
それが日本の文化なのだからだ。
この深さを「理解」は出来るだろうが実現は難しい。
そこにも「技術」が必要だからだ。
もちろん、「それぞれの武道」という点では、この限りではなく楽しめばよいのだ。


