大阪ワークショップは無茶寒い!
何だかんだで、1月は今日で終わりだ。
つまりもへったくれも無いが、もう2026年になってから1ヶ月消えてしまったという事だ。
と何時も書いているように思う。
ほんと、年齢と言うのは時間まで短くしてしまうものだ、とこれも、ここ10年は書いている。
今日は、久しぶりに昔馴染みと話をした。
お互いに「78歳やで」と元気な声が聞けて良かった。
しかし、熊野は雪はわずかに積もっている程度だったので救われた。
何時も奇跡的なのだが、雨が降っていないのにも関わらず水が出ていたのだ。
これは嬉しい‼
大方の人には、縁が無い状況だろうが。
水が止まらずに流れているとすれば、割り箸程度の太さの水で、風呂も含めて日常生活を賄えるのだ。
その水も、天候や地震などの自然の変化は別にして、人為的な理由で止まったり枯れてしまう事もある。
人生、どこに住んでいてもアクシデントに遭遇するものだ。
つまり、その時、その場で対処できるのか、対応出来るのか、が人生を生きる上で大事なのだ。
そうなると、自分の持つ考え方というか哲学が大事になる。
その場での対処は、身体能力がカバーするのではなく、自分の持つ「考え」が対処するからだ。
もちろん、この年になれば、大方の事は「どうでも良い」ので、構える必要は無くなっているが。
しかし、先程の「アクシデントに遭遇する→自分の思うようにはならない」というような考え方は、何時から持っていたのだろうと思い出してみる。
全く思い出せない。
しかし、武道での技の在り方は、全てこれ「自分の思うようにはならない→だからどうするか?」で考えなければならない。
「私はこうしたい」から一歩進んで、「こうは出来ない」という問題をそこに置くのだ。
これは二重三重に難しい。
というのは、自分の身体運動が、自分の思ったようには動かせないからだ。
そして、動いたとしてもそれは生まれ持った「癖」とあまり変わらない。
だから、その癖を取る、ということと動かし方を覚えるという問題に向かわなければならない難しさなのだ。
とはいうものの、体感できる事はある。
そこが一つの目安になる。
ワークショップはもう直ぐです。
古の身体操作、実は、現代の身体操作より合理的で力を発揮するのです。
2月6.7.8日大阪ワークショップin上新庄



