感想文に返信だ、これがかなりきつい
気が付けば5月7日だ。
やっと腰が上がった、という感じか。
昨日は、袴や道着を持ちコインランドリーで2時間30分。
セクションを色々と振り返りながら待った。
頭というか、言葉を駆使した仕事をしている人。
デスクワークの多い人は、カリキュラムの内容を「方法」と受け取っている。
だから、方法を分かれば良い、という思考だ。
ひとを呼ぶのに方法はいらない「呼べばよい」だけだ。
分かれば良いのと出来たら良い、は残念ながら噛み合わない。
日々の日常で、日常に問題を感じたり関係に疑問を感じている人は、「これか!」となるのだが、単純な社会的な関係を関係だと思っている人には「どうすれば?」となる。
目の前で後ろ向きに座る人に声をかけてフリ向かせる。
目の前に居る人が振り返らないのだ。
「どうして?」だろう。
話は簡単だ。
「呼んでいない」からだ。
「そんなばかな」だろう。
そんな馬鹿なのだ。
声は間違いなく出しているが、「その人」を呼んでいないのだ。
呼んでいなければ、真後ろから音を出したら驚くかも知れないが、呼ばれたとは思わないのだ。
いくら人は劣化していても、そこまでは劣化していないから振り返らないのだ。
ここでデスクワークや言葉主体の仕事の人は、「どうすれば?」と方法になる。
ここのトリックが分かるだろうか?
自分が呼んでいない、ということに気付かずに「振り返らせる方法」を考えるのだ。
その人は、生まれてこのかた「人を呼んだことも無い」という事に気付かないのだ。
「声」という「音」を発しており、それは聞こえるから呼んでいる、あるいは、伝えているになるのだ。
そんなわけないだろう。
そういう噛み合わなさが、どこにでも転がっているのだ。
今、皆が書いたレポートを読んでいる。
来週中には、全員の手元に届くようにしたいものだ。
