分かると行動しているとの違い
「この人は誰?」
もちろん、名前や基本的な事ではない。
その人はどんな事に興味を持ち、どんな価値観を持っているのか?というような好奇心視点での「この人は?」だ。
ある程度は、服装や話し方で見える。
常識的なのか、常識は躾けられていないのか?そういった事は、一寸した行動を見ていれば見える。
そして、その人は「他人」という認識を持ち合わせているのか?いないのか?
つまり、他人とは、自分とは全く異なった人で、社会背景、精神背景他、何もかもが違う人だと認識できているのか?
もちろん、もし、これ等を質問すれば、それこそ常識的に「分かっている」と答える筈だ。
しかし、それは「分かっているだけで、では、その中でどう生きるのか?どう行動しているのか?」だ。
そこが一番の問題だ。
自分という存在が「他人」という存在を認識しているとすれば、認識に沿った行動をしていれば、その「他人」からは、その「人」は存在して見える。
もちろん、この話はややこしい哲学の話しではない。
現実の社会生活の中の実際的日常の話だ。
無意識的な行動から、その人が他人の存在を認識している事が見える人は万人に一人くらいだ。
それでは、事故も事件も増えるだけだ。