言葉と実際や実体は、全く別物だ

「大事な事は、体感であって理解や知識では無い。理解や知識でまとめると、折角の体感が『それにしか使えない方法』に成り下がってしまう」
これは、「武道」でも「明鏡塾」でも何時も話す事だ。

しかし、人はどうしても自分なりの分析をし、自分なりの理解を選び自分自身の体感とは別物を創り上げたがる。
もちろん、体感と言葉が別物だという認識を持たないからだ。

いうならば、言葉と実体とは全く別物だという認識が無いのだ。
それは、言葉と実際の違いという所に焦点を絞り考えた事が無いからでもある。

例えば「痛い」という言葉一つとっても、その事と実体に起こった刺激とは関係が無い。
あるとすれば「ギャ~」とか「ワ~」で辛うじて結び付くのかも知れない。

体感に近い言葉を探し、それを体感だとしているだけであって、体感はどこまでいっても体感なのだ。
その体感を、自分の持つ近いだけの言葉に変換しているだけだ。
つまりは、実際と言葉は別物だという事だ。

でも、その実際を誘導するのは、その別物の言葉だ。
拙著「考えるな体にきけ」は、そういった事も含んでいるのだ。

逆に、考えられる体にならなければいけない、という事でもあるのだ。

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