言葉が身体を支配するから注意が肝心だ

「力の衝突」を避ける。
「武道」では必須だ。
それは、力負けする可能性を持っているからだ。

ではどうするか?一つに、力の方向を変える。
一つに、衝突した瞬間に「衝突した」という意識を持たない事だ。

実は、それが一番大事な事だ。

「衝突してはいけない」と知っているから、「衝突した」と意識を持ち、その事で流れが止まるからだ。

以前書いた事があるが、足を石で切った大怪我をした。
その時は「痛い」という意識が身体全体を支配している事に気付いた。

足を切ったのは事実、大怪我も事実。
だが「痛い」というのは単なる言葉だ。

それと、身体への刺激がダブっており、「痛い」に支配されてしまうのだ。
支配されていると、身体は動かない。

その時、両方の肩を支えられて、ビッコを引きながら歩いた。
その歩いている時に「俺は何をしているのか?」と気付いたのだ。

確かに石で足を切り、長靴の中は血でピチャピチャしている。
しかし、痛いとすればそれは切ったところだけであって、身体全体ではない筈だ。

その事を「痛い所を探す」という作業を通して気付いたと同時に克服した。
もちろん、怪我が治ったのではないが「痛み」からは解放されたのだ。

そうする事で、足は怪我をかばっているが、間違いなく助けが必要なく歩けたし、その現場から300㎞先の道場迄、マニュアル自動車を運転して帰った。

この体験が無ければ、「言葉と実際」という視点を持つ事は出来なかっただろうと思う。

どうでも良いような事は、言葉で誤魔化せば良いが、実質的なリスクを伴っているものは、誤魔化しは効かないのだ。
つまり、こういった身体的リスクを伴う事は、知識として知っても、リスクに支配され誤魔化しの様には使えないからだ。

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