自分を変えるのは簡単と難しいと2通りある
巷では「自分を変えたい」もしくは「自分を変える」というフレーズをよく見かける。
これは簡単な事だ。
「変えれば良い」だけだからだ。
でも深く言えば「相当難しい」挑戦だ。
簡単な方は「思ったら良いだけ」だ。
「私は変わった」と思うだけで変わる。
もちろん、「どう変わりたいか」があり、その希望が高ければそれだけ難易度は増す。
難しい挑戦だというのは、考え方を根本から変える必要があるからだ。
この根本が難しいのだ。
それは、ある状況でないと、その考え方は浮かんで来ないので、隅々まで気付こうと思えば相当時間も行動も必要になる。
武道の話になるが、幕末の達人白井亨が、自身の日記で「出来たと思っていても、強そうな相手と立ち会うと、たちまち元の自分が現れ力んでしまう」と書いている。
この「出来たと思っていても」の「思っていても」がある限り、根っこは深いという事なのだ。
もちろん、「力んでしまう」と自己観察出来ているのだから、相当レベルは高いのだがそれでもまだ自分を変えてしまう事は出来ないのだ。
この場合の「自分を変えてしまう」は、当然師の寺田宗有の如く「達人に」だからだ。
しかし、この達人を目指さなければ、その中途のレベルにもなれない。
以前、馬鹿みたいに「一位でないといけないのですか?2位ならどうして駄目なのですか」とほざいた人がいたが、こういった屁理屈レベルで人の成長があるのではない。
師を目指すから、つまり、一番頂点を目指すから、結果として自分自身の力量として2番かもしれないし10番かもしれない。
それは比較という事だけで計るとそうなるだけで、2番も10番もその人にとっての1番なのだ。
そのその人にとっての1番を創り上げるには、やはり一番頂上を目指さなければ駄目だ。
それは全力を出す、という事での一つの約束の様なものだ。
私自身は、私が取り組むことは絶対に一番にならなければ気が済まない正確だ。
だから、常に一番を目指した。
でも、比較という事で言えば、そうやすやすと一番になれる事はなかった。
そこを振り返って、では全力を出したのか?というと、「いや、もっと行けた筈だ」と思う。
だから、この年になっても「もっと」と、自分を鼓舞できるし前に進もうとしているのだ。
それもこれも、「武道」というジャンル、そこでの「達人」と呼ばれた人の心境を目指しているからだ。
実在しないものを目指すのは面白いからだ。
嘘も誠も無いからだ。
私は達人ではないが、それに匹敵する事を発見したり気付いたりしている。
それは、一番てっぺんを目指しているからだ。