昨日の稽古に、いわば孫弟子にあたる空手青年が来た。
久しぶりの体育会系のノリが心地よい。
まだ25歳だから、年齢的にも孫だ。

短い型を見せ「見て覚え」というと、空手青年らしくものの10分程で覚えた。
型を覚える事に慣れているとはいえ大したものだ。

体重移動も数回で覚えた。
もちろん、何を覚えたのかは分からないが、「出来ている」という現象は数回で現れた。
その後3人掛けの体重移動も試させたが、何だかんだで出来た。

しかし、言葉は常に抽象だ。
「慣れている」という事の中身は何か?と考える。

習慣化されているという事だろうが、そこには「覚えてやろう」という気持ちや「好奇心」が必ず大きなウエイトを持つ筈だ。
だから、身体運動の得手不得手はあるだろうが、結局はこの、「その場での物事に対する向き合い方と、好奇心が左右する」のだろう。

では、こういった身体での覚え方の遅い人、いつまでも覚えない人は何だ?
ここが何時もぶつかる壁だ。
一般論としてはいくらでも言えるが、それはほんとにそうかどうかは分からないのだ。
あくまでも一般論だからだ。

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「武禅一の行」受講者の感想 -

言葉にならない事を言葉にするのは難しい。それは、日頃説明や解説、もしくは評論的な言葉、伝達だけの言葉しか使って

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