何のこっちゃ分からない「つもり」の中の人

「つもり」の典型的なものは、子供の頃の一人遊びだ。
空想力をフルに使い、空を飛んだりヒーローになったり、様々な世界を作り出しそこで遊ぶ。

それ自体は高度なものであり、人の成長にとって大事なものだ。

その時期を経て、子供は現実という世界の刺激に触発され、現実での遊びも手に入れる。
現実と空想を混在させた遊びの発明だ。
これはきっと死ぬまで続けられるものである。

この空想の中に「なったつもり」が入っている。
どうもこれだけを現実での思考と混ざらせているのではないかと思う。

言うなれば、空想の中の自分が現実世界に顔を出すということだ。

当然、現実には空想は適応しないので「思ったようにはなるが」現実では間違っているという結果になる。
その現実の「間違っているという結果」を踏まえれば良いのだが、「どうして間違っているのだろう」と空想の自分を正当化してしまうのだ。
それが「つもり」の状態だろう。

現実で「間違っている結果」が出ても、意識は空想の自分に向いているので、その結果を現実として見る事が出来ない。
だから、どこまで行ってもここの堂々巡りなのだ。

となると「日本語は通じない」状態になるのだ。
つまり、アドバイスが出来ないし届かないのだ。

「武禅」で皆が頭を悩ませるのは、組んだ相手がこういった状態になっている時だ。
そして、それが逆の場合もある。
空想の中の人がアドバイスをして来た時だ。

全くトンチンカンな状況になってしまうからだ。
「忖度無しでアドバイスを」とは言うが、忖度も何も完全に食い違っているから、コントにしかならない事が起こる。
そんな場面を切り抜けるのも、世間を渡る力だし、その場面を壊してしまうのも力だ。

そういった対応力が必要だという事も、知らない人にとっては重要な知識だ。

「武禅」4月28,29,30日です。残り4席になりました。お早めにお申込みください。

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