死ぬまで続けられていること
「どんな些細な事でも、出来ない事が出来るようになったというのは嬉しいじゃないですか」とは、大谷翔平選手の言葉だ。
もちろん、私もそう思うしそんな人生を送っている。
ただ、そういった意識は持っていない。
後付けとして「そう思う」だけだ。
しかし、逆にそういったことを思わない人は、何が自分を奮い立たせたり、向上心を持つのだろう?そんな事を考える。
と書けば、何時もの、目標や目的の話になる。
大谷選手は、目的から逆算して、今何をすべきかを考えたという。
それは、大方はそうだろうと思う。
私の場合も同じだが少し違う。
それは、何をすべきか?という考え方とは微妙に違い、何が出来て無ければ次に進めないか、という具体的な見方だ。
だから行為に直結しているし、行為そのものだ。
だから「そういった意識は持っていない」となるのだ。
そういった意識は、私にとっては悠長なものだと捉えているからだ。
それはきっと癖というか、性格的なものだろうと思う。
「せっかち」だし「いらち」だからだ。
その意味で、こういった向上心的なものにも向き不向きがあるのだろう。
だから、不向きな事を選んでしまったらドツボに入る、あるいは、失敗が続くのかもしれない。
しかし、これも結果論なのだが、いくら失敗が続いてもやり続ける事で、そこをクリアし次に進んでいる場合もあるのではないかと思う。
私は武道の研究をしているが、もしかしたら不向きな事かもしれないと思う時がある。
何しろ「じっとして考えるのが苦手」だからだ。
「せっかちでいらち」だからだ。
しかし、やり続けている。
やり続けられている。
それは「興味が尽きない」からだ、、、と思う。
もちろん、そうではないかも知れないというのがある。
そうなってくると、結局「続けられている事」が、自分に向いている事だと思い込んでいたら良いのではないか。
東京ワークショップは12月1.2.3日です。