挨拶は安全保障でもあるのを知っていた?
「人に向き合うことがこんなに難しく、でもこころから温かい気持ちになれるということを肌で感じた。明日からの日常の中で、今回の武禅で気付いたことを活かして行く。」
初めて「武禅一の行」に参加した人全員が感じる共通体感だ。
人は常に「誰か」といるのだが、それは無意識的な行為の為に「誰」を意識する事は無く、逆に無視しているのだ。
もちろん、無視している人は無意識的だから、その事を知らない。
知らないというのは、相手が「あなた」に無視されたと思っている事を「あなたは知らない」ということだ。
つまり、それほど相手に無関心、関心が無いということだ。
人と人がすれ違い、目と目が合えば会釈をした、あるいは、挨拶をしたものだ。
もちろん、昭和だ。
それは「古い事」なのか?挨拶を、古い新しいで選り分ける馬鹿者ばかりの国になったのか。
挨拶は安全保障の入り口でもあるのだ。
見ず知らずの人の目を見て挨拶をする。
もし相手が良からぬことを考えている人なら、目をしっかりと見られたら、良からぬことはしない。
相当前になるが「武禅」にあるところのパチンコ屋の社長と役員の方が受講してくれていた。
その役員の方に「店で仕事をする奴がいるけど、何か対策はないでしょうか?」と聞かれた。
ここでいう「仕事」というのは、機械に仕掛けを作ったり、何かしらの方法で出玉を稼ぐ人たちの事だ。
それの損益が相当あるという。
コンサルに聞いても、現実的ではない事ばかりで埒が明かないという事だ。
コンサルが実際的に人と渡り合える人は、いてもごく少数だろう。
私は、従業員を「武禅」での正面向かい会いの様にやらせて、全てのお客さんの目をしっかり見てきちんと挨拶をする、これをやればよい、とアドバイスをした。
4か月後に次の「武禅」があり、「仕事をする奴らは一人もいなくなり、売り上げが回復しややこしい奴がこないので、お客さんも増えています」と報告を受けた事がある。
挨拶は安全保障を兼ねているのだ。
30年ほど前、「子供には知らない人と口をきくな、と躾けてます」まるで逆だ。
目をしっかり見て挨拶をする、礼儀でもあるし、関係性の入り口でもある。
しかし、その裏には安全保障が有るという事を忘れてはならない。
5月3.4.5日は、人間関係に特化した「108回武禅一の行」行会です。残席は6席です。